日本推理作家協会賞受賞作の『赤朽葉家の伝説』には、割愛されたエピソードがあった。『赤朽葉家』を読まれた方は、第二部の主人公・赤朽葉毛毬が、レディースを率いて中国地方を制覇したエピソードを覚えておられるだろう。実はこの部分、本来はもっと紙数が多かったのだが、『赤朽葉家の伝説』全体のバランスを考慮して、大幅にカットされてしまう。
『製鉄天使』はその部分を復活させ、長篇に膨らませた作品であり、作品化に当たって一部の設定(登場人物名など)が変更されている。
鳥取県赤珠村、その地を見下ろす丘に立つ製鉄会社の長女として生まれた赤緑豆小豆は、鉄を支配し自在に操るという不思議な能力を持っていた。彼女は仲間と共にレディース《製鉄天使》を結成、その総長として「せかい」を目指し中国地方の制覇に乗り出す。
物語はまったくリアリスティックに進まない。少女たちは、青春漫画のようにまっすぐでもなく、さりとて強烈な反社会性を漂わせるでなく、まさに「少女」っぽいフワフワしたところを残したまま、闘争の世界に突入する。戦闘シーンで血がいくら流れようと、読者はリアルな殴り合いであることを実感できないだろう。加えて、敵もあまりキャラ立ちしていない。レディース《製鉄天使》は、最初から最後まで実在感が希薄なのだ。ここには葛藤がない。相克もない。ただただスムーズに、流れるように、少女たちはバイクでの疾走をエスカレートさせていく。また小豆自身も、非常に居心地のよさそうな自分の家庭にいても自分のリアルを感じられないのだが、そう言う小豆こそリアルではないような印象がある。
本書で鋭い棘が仕込まれるのは、暴走族のエピソードではなく、仲間から抜けて成績の良い高校に入学した元仲間が、そこで売春の元締めをしていたというものだけだ。ここだけは、やけにシビアな切迫感が小豆の心を苛める。しかしそれ以外は、とてもフワフワしているのだ。
この不思議な読み心地をどう伝えればいいのか? 言葉を暫し探し、ぴったりなものを見つけた。そう、「夢見心地」である。
桜庭一樹はデビュー以来ずっと少女を描いてきた。しかし女流家族における三代の「少女時代」を描いた『赤朽葉家の伝説』の後は、私には彼女の興味が「おんなへの成長」を描くことにシフトしたように思われる。直木賞受賞作の『私の女』然り、『ファミリー・ポートレイト』然り、『荒野』然り。いずれの作品でも主人公は、少なくとも結末までには、「おんな」の妖しい魅力を備えたのである。
だが『製鉄天使』は、そこまで行かない物語となった。確かに小豆は、終盤で自分から「大人の体臭」が立ち上るのを自覚するが、その後はっきりと「おんな」になったとは記されていない。各章の間に挟まれた、暗闇での誰かの会話とエピローグも実に意味深である。結局、本書における小豆と仲間たちの物語は、あくまでも少女のまま「えいえん」を求めた物語と読めてしまう。そして毛毬と違い、少女たちの「えいえん」が叶わぬ夢であったことまでは描かれずに、小説は終わってしまうのだ。
ならば「夢見心地」のまま闘争が繰り広げられるのは、非常に正しいのではないか。成長は望もうが望むまいが訪れ、少女はいずれ少女ではなくなる。それが嫌ならば、死を迎え入れるしかない。現実に抗うことは誰しも不可能だ。しかし夢見ることだけなら可能である。『製鉄天使』はその「夢」の話ではなかったか。そして、「夢」から醒めた後の「現実」を示したのが、毛毬の死までもを描いた『赤朽葉家の伝説』だったのではないのか。そう考えると、個人的にはストンと納得が行く。
柄にもなく難しいことを考えてしまったが、基本的にはとても楽しく読めるので、誰にでもすすめられる作品だと思う。評価は☆☆☆☆。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |