東方Projectというジャンルは極めて曖昧な境界を持っていて、外の世界と中の世界を隔てている。
まったくご存じない方のために説明しておくと、東方ProjectとはZUNという同人ゲーム作家が、個人サークル「上海アリス幻楽団」の名において創出しているゲーム、音楽、小説・マンガなどの商業出版物のすべてを含む総称である。ZUNは大学時代からPC98版の同人ゲーム制作を手がけていたが、社会人となった後、2002年の「コミックマーケット62」で初のwindows版ゲーム『東方紅魔郷』を発表した。『紅魔郷』以前を旧作と呼び、商業出版物にはそれらの作品に関する記述は出てこない(しかし封印されたわけではなく、CD「幺楽団の歴史」シリーズでは旧作のゲーム音楽を聴くことができるし、『東方花映塚』に登場した風見幽香のように、旧作から新作へと返り咲いたキャラクターもいる)。
東方Project(以下、東方)という呼称は狭義においては『東方紅魔郷』に代表される弾幕シューティングゲームを指す。自機・敵ボスキャラのいずれもが可愛い女の子である、というのが表面上の特徴で、それぞれのゲームごとに果たすべきミッションが設定されている。それらが、一応の「物語」の土台である。ただし、森近霖之助の営む道具屋の平穏な日々を描いた小説『東方香霖堂』のように、非日常ではなく日常を扱った作品も東方内には多数存在する。各作品の舞台は「幻想郷」という結界に守られた聖地であるが、CDブックレットに連載されている「秘封倶楽部」のマエリベリー・ハーンと宇佐見蓮子のように、幻想郷の外界の住人も東方には登場してくる。彼女たちは結界のあやふやになった箇所にひきつけられ、幻夢を見るのだ。境界が曖昧だからこそ、そうしたことが起きる。
『東方求聞史紀』は、ZUNの商業出版物の二作目にあたる本だ。第一作の『東方文化帖』は二〇〇五年八月に刊行され、同年十二月に発表されたゲーム版『東方文化帖』と連動した内容を持っていた。ゲーム版の主人公である烏天狗の新聞記者・射命丸文が発行する「文々。新聞」のスクラップと、同人作家が執筆した書き下ろしマンガなどが収録された、ファンブックという体裁だったのである。巻末にZUNのインタビューが掲載されているが、作者が前面に出てくるような内容ではない。あくまで執筆者は射命丸文というのが建前なのである。
『東方求聞史紀』も同様の趣向だ。ZUNは虚構の遮蔽物の陰に隠れ、読者の前に姿を現そうとはしない。作者としては当然ZUNがクレジットされているが、内容の文章の書き手は九代目阿礼乙女・稗田阿求だということになっている。阿求は、かの稗田阿礼の子・阿一が転生を重ねた存在である。見聞したことをすべて憶えていたという阿礼の能力を受け継ぎ、自分が死んでも百数十年後に生まれてくることができる。その彼女が、自らの知る幻想郷の知識を書き記した書籍が『東方求聞史紀』なのだ。いわゆる偽書の体裁をとることによって、本書においてもZUNは虚構の中に身を隠すことに成功している。
本書は、「図鑑」である。子供のころにジャガーバックスの『いちばんくわしい日本妖怪図鑑』を手にした経験がある人は、あれを想像してみると話が早いように思う。初代の阿礼乙女・稗田阿一が「幻想郷縁起」を綴り始めたきっかけは、妖怪によって捕食されることを防ごうとして闘う人間が、危険な妖怪の特徴を書き残そうとしたことだった。その流れを汲み、本書の記述も妖怪や妖精などの人外について、「能力」「危険度」「人間友好度」「主な活動場所」「戦闘能力」「目撃報告例」「対策」などの項目が立てられている。
東方のキャラクターには作品ごとに微妙な揺れが生じることが普通であり、ZUNの描く「立ち絵」にも細かいところで異同が生じている(シリーズではなくプロジェクトと言い表されているのも、ZUNが各作品を独立したものと考えているからだ)。二〇一〇年の作品「ダブルスポイラー」で、突如射命丸文がエルフ耳のキャラクターになったが、そのくらいのことでファンは驚いたりはしないのだ。一応基本設定は固定されているようで、それぞれの作品で大きく揺らぐことはない。ただし、その基本設定もZUNからすべてが明かされているわけではなく、ファンはゲーム内のキャラクターの言動や、本書のようなファンブックの記述から、それに反しないような設定を自己判断で作りあげているのだ。そのため、東方の二次創作には驚くほどの多様性がある。氾濫する同人作品の中には、一次創作物とは設定が明らかに異なるものも存在する(例:『東方永夜抄』に登場する不死人の藤原妹紅は、原作では普通に女性口調だが、多くの二次創作では男言葉になる)。自身の揺らぎを気にしないのと同様、ZUNはそうした二次創作のノイズに対しても極めて寛大である。そうした態度が、東方の周辺領域を拡大し、曖昧な境界を強化することにつながっている。
『東方求聞史紀』は、そうした東方の領域拡大にもっとも寄与した本だといえる。ニコニコ動画などをしばらく(おそらく一日がかりでやっても終わらないが)検索すると、だいたい二次創作のあらましがぼんやりと見えてくるはずだ。その中で使われているネタのいくつかは、二次設定のように見えるものであっても、本書に起源を持っていることが多い。たとえば半人半獣の上白沢慧音(『東方永夜抄』で登場)の頭突きは痛い、といういかにもネタっぽい設定は、本書に記載されているものである。本書74ページに、彼女は人里で寺子屋を経営していて、宿題を忘れた子供に頭突きの罰を与える、という趣旨の記述がある。
言うまでもないことだが、「図鑑」という形式や偽書の体裁自体がZUNのネタであり、お遊びである。その中では生真面目を装った冗談も頻出する。その冗談を基本設定として受け入れ、その上に想像力を組み立てていく、というのが二次創作者の腕の見せ所なのだ。創作者には、公式作品を出し続けることによって揺らぎを消していこうとする者と(パスティーシュが出ることを嫌って『カーテン』を書いたアガサ・クリスティーなどが代表例)、規模の大きさに紛らわせて規範を緩めようとする者の二タイプがいるが、明らかにZUNは後者だ。東方は、「今のところ」規制の堅苦しさから逃れることに成功している。東方の初心者は、本書を読むことにより、そのゆるやかさ、気楽さ、居心地の良さが成立している理由を知ることができるはずだ。