大河内昭爾が、吉村昭の文章のおもしろさは「陽気な自虐性」にある、と書いていて(『実を申すと』ちくま文庫解説)ちょっと納得させられた。「陰湿な自虐性」は日本私小説の伝統芸だが、吉村にはその枠におさまらない、いさぎよさがあるというのだ。
この「陽気な自虐性」というところを、「自分をだしにしておもしろがる」と言い換えてみると、わかりやすい。どんな境遇にいても、それをおもしろがることができれば、少しは救われる。どうしようもない私の「どうしようもなさ」を、愛でるわけである。自虐ではないが、吉田豪が「童貞をこじらせた人たち」や「不惑を過ぎて〈サブカルの旗手〉という称号が似合わなくなってしまった人々」のインタビューを続けているのも、これと同じセンスの仕事なのだと私は思う。
一見日本的な私小説の陰湿さを引きずっているように見えて、実はからからに乾いているのが、施川ユウキという人だ。施川ユウキは「週刊少年チャンピオン」でデビューを果たした漫画家で、現在は『森のテグー』(秋田書店)という作品を連載している。その前の連載である『サナギさん』(秋田書店)が私は好きで、何度も繰り返し読んでいる。4コマ漫画なのだが、話の中心はサナギさんと友達が日常的のようであり、そうでもない会話を交わしているだけだ。言葉が飛び交っているうちに話者の思惑を離れたところまで暴走してしまうことがある。時におそろしくなったり、または時には果てしなくくだらなくなったり。あの感覚を漫画で再現したような作品なのである。本当に予想もしない時期に突然最終回になり、驚かされた。その最終回も、最後なんだかそうでないんだか、でも最終回と言われれば最終回であるような、『サナギさん』らしいものだった。
その施川が、初めて描いたエッセイ漫画が、『え!? 絵が下手なのに漫画家に?』という作品だ。
最初の連載誌は女性向けの「エレガンスイブ」で、施川に過去の恋話をさせよう、というのが企画意図だったらしい。しかしその部分はあまり話が展開しない。専門学校で出会った彼女にふられた後も「わっ あんまりショックじゃない!!」と主人公はあっさり状況を受け入れてしまうのだ。ただ、その彼女に会うのが気まずくなって、学校に行かなくなり、自宅にこもって漫画を描くことに没頭するようになる。そこからが本当の読みどころだ。
漫画といっても、つけペンとインクで描く本格的なものではない。大学ノートに鉛筆で描く、子供の遊びのようなものだ。内容は「思春期の少年達がグダグダ何か言っている暗いストーリー物で」「ギャグは一切無かった」という。それを描いて、「フフフフ…ケッサクだ」とほくそ笑み、我に返って「つまんねえ!」「こんなのただのマスターベーションだ!!」と自己嫌悪に陥るのである(はい、今胸に痛みの走った人、挙手)。
描いては破き、描いては破きを繰り返しているうちに、主人公は画期的なノートの廃棄方法を発明する。
「水を張った洗面器にノートを漬ける」「水をたっぷり含んだところで手にとって細かくちぎる(パンをちぎるより簡単に細かくなる)」「よーく絞って捨てる」以上である。
そんなことばかり巧くなって、当然ながら彼の人生は一歩も前進していない。そこで急に焦り、街で見かけたボランティア団体に電話をかけてゴミ拾いの奉仕活動に参加して……というところで、「エレガンスイブ」連載分は終わる。残りの四話は、施川が漫画の投稿を始めて連載を獲得するまで、の話だ。事情は知らないが、この部分は出身母体である「週刊少年チャンピオン」に掲載された。漫画家のデビュー話というと、壮絶な苦闘の記録を想像するが、施川のそれは、作風と同様で実にあっさりとしている。デビュー前は「このままだとあっと言う間に成功して生活が一変してしまう」「どうなってしまうんだ? オレの未来」とおののいていたのに、実際にデビューしてみると「……なんか」「全然生活変わんねえな!!!」と安心する、という落ちも実にそれらしい。
施川の羞恥心が抑制を利かせている部分と、それでも何かが漏れ出してしまっている部分との界面が、実に美しいのである。この本からうかがえる作者の資質は、過去の恥ずかしい体験をネタとして提供してしまうような図太さだけではない。「過去の自分」を「現在の自分」の視点から修正し、それを読者に提供しているさまを、「もう一人の自分」がため息交じりに眺めている。そうしたややこしさが『え!? 絵が下手なのに漫画家に?』にはある。そこが、私がこの作家を愛するゆえんだ。「陰湿な自虐性」とも「陽気な自虐性」ともちょっと違う。「自虐性が服着て飯食ってる」ような感じ。自虐なのになんか堂々として、宅急便屋の応対とかしているの。ハンコがなくてさんざん探し回ったあげく、「サインでもいいです」とか言われると思う。そのサインが妙に凝ったものだったりして。
おもしろかったです。
付記:これまで不思議なことにあまり漫画の書評が来なかったけど、歓迎です。著作権の問題から自由に絵を紹介することはできないので、その制約に異論がない方、ぜひ挑戦してみてください。