○前置き:関西人の視点から
最初にレビュワー自身の自分語りをさせていただくことをお許しいただきたい。というのも、本書の書評として辛辣な意見を書かせていただく以上、その背景を明らかにしておく必要があるからだ。
私は奈良県に生まれ育ち、大阪泉州の学校に通い、難波の予備校を経て京都に下宿して大学に通った人間だ。つまり、二十数年間を関西圏で過ごしてきた関西人である。「笑都」大阪の番組を見て育ち、吉本新喜劇を見ては椅子から転げ落ちてきた。ボケ・ツッコミ・ノリツッコミはコミュニケーションの一環だ。
1986年の心斎橋筋二丁目劇場オープンは、私のお笑い鑑賞歴においても画期的なターニングポイントである。ダウンタウンを初めとする二丁目軍団(今田耕司・東野幸治、ハイヒール、非常階段、ホンコンマカオ、130R、メンバメイコボルスミ11、三角公園USA……)が大阪のお笑いにもたらした大旋風が、当時高校生の私を直撃した。伝説的な番組「4時ですよーだ」は見られる限り見ていた。彼らは大阪NSC(吉本総合芸能学院)の卒業生で、師匠を持たない新しいスタイルの漫才を生み出し、「ノーブランド」と呼ばれていた(一方、師匠持ちの若手が「お前らがノーブランドやったら、俺らは弟子やからDCブランドや」と発言していたことも記憶している)。
二丁目「4時ですよーだ」軍団が登場したとき、私はダウンタウンを天才だと直感した。それは今も変わらない。自分のボケを言う前に吹き出しても観客を笑わせることができるのは、天才・松本人志ただ一人である。そして、松本の天才を完全に熟知し、それをどうすれば引き出せるか知っているもう一人の天才が浜田雅功である。彼らは「4時ですよーだ」の番組内で「はっきり言って自分らテングになってます」と自ら公言していた。自らを天才と自覚するテングっぷりは反感も買っていたが、その実力は(少なくとも関西圏の)誰もが認めざるをえなかったのである。
なお、これとは別に私に衝撃を与えた小劇場系の天才としては生瀬勝久・古田新太もいるが、彼らについてはまた別の機会に述べることにしよう。今のところは、関西地区においてダウンタウン率いる二丁目軍団の洗礼をリアルタイムに受けた人間の書評であることを前提として理解していただければ充分である。
○そこが対比点なのか
というところで、ようやく本題に入る。
『松本人志は夏目漱石である!』は、東京生まれのお笑い評論家・峰尾耕平のお笑い論である。そして、タイトルに端的に示されているとおり、現在のお笑い界(というより、テレビバラエティーの重要な芸人たち)を日本文学における文豪たちになぞらえ、その類似点を挙げていった作品である。その着眼点は面白いと思うし、意欲的な作品であることも間違いないと思う。
しかし、である。どうも感覚が違うのである。端的に言わせてもらえば、通読した後も私にはどうしても「松本人志が夏目漱石であるとは思えない」のだ。
萩本欽一は坪内逍遙、志村けんは二葉亭四迷、横山やすしは国木田独歩、ビートたけしは尾崎紅葉、明石家さんまは幸田露伴、タモリは泉鏡花、島田紳助は森鴎外、とんねるずは島崎藤村、松本人志は夏目漱石、ダチョウ倶楽部は田山花袋、太田光は谷崎潤一郎、木村祐一は志賀直哉、千原ジュニアは芥川龍之介、ケンドーコバヤシは太宰治である、というのが本書に挙げられた「対比一覧」である。これだけだと何のことだかわからないだろうが、それぞれに根拠が挙げられている。たとえば志村けんと二葉亭四迷について一部引用しよう。
「練り込まれた台本の上で、敏感に人々との共通意識を察知してアドリブを繰り出す芸人を、人々は求めた。そうして生まれたのが、ザ・ドリフターズ後期主要メンバーの志村けんであった。
同じように、人々の無言の要求を受けて文学の新境地を開拓したのが二葉亭四迷であった。」(46ページ)
志村けんは視聴者の望むこと(つまり権威であるいかりや長介を、台本の枠を越えてやりこめてしまうこと)をアドリブという形で演じた、という著者の規定がまず示される。そして、日本文学において「当時の読者の無意識な悩み」を描き出した二葉亭四迷と共通している、という形で論が組み立てられている。
著者によって指摘されたその性質は、確かにそれぞれの芸人・文豪が持っているとは思う。しかし、それがその人物の最大の特徴なのか、あるいはそれぞれに多くの顔を持つ芸人・文豪を一つの観点でもってイコールで結んでよいものなのか、という点について、私は疑問を抱いた。
○「ダウンタウン=私小説の生みの親」への違和感
たとえば、ダウンタウンと漱石について、筆者はこう記す。漱石が「新しい文体」を完成させたという記述に続く部分である。
「漱石亡き後、近代文学は私小説へと舵を切る。その隆盛は、世界の文学史では例をみないほどであった。漱石自身が、どれほどその繁栄を予期していたかはわからないが、彼の晩年の最高傑作『道草』は完全な私小説といえる。
この事実は、九〇年代に入り、ダウンタウンが現代バラエティの完成を『ごっつええ感じ』で成し遂げ、その後に松本人志があまりにも私小説的な『すべらない話』を世に送り出したことと似ている。」(152ページ)
えっ、そこなん?きみ、それ、おかしいやろ?と浜田風に突っ込みたくなる。ダウンタウンの功績って、「バラエティを完成させて、私小説を生み出したこと」やったん?と。
師匠から弟子に受け継がれるのではない新しいノーブランドの第一期生としていきなり才能を開花させ、漫才かコントかという枠にとらわれないお笑いをぶつけて大阪のお笑いそのものを大きく揺さぶったという点はどこに行ってしまったのだ?ちょっと検索すれば「あ研究家」や「クイズ番組」といったダウンタウン初期の漫才動画は今も見られるが、何度見ても爆笑してしまう。当時のインパクトは絶大だった。やすきよとも、ひょうきん族とも違う、新しい旋風が彼らだった。
その新しいお笑いの延長上に「ごっつ」も「すべらない話」もあるのだが、「すべらない話」はダウンタウンとその後継者にとって決して「これからのお笑いの主流はこれだ」というふうに思われているわけではあるまい。むしろそれは制約の一つの形でしかない。つまり、「作り話ではなく実話限定」というのは、笑いを生み出すための「縛り」の一つでしかないのである。逆にいえば、別の形での縛りができるのであれば、彼らは「すべらない話」にこだわるつもりはないだろう。
ところが、この本では「一九九一年、すでに八〇年代後半から関西地方や一部の若者から熱狂的な人気のあったダウンタウンが、『ごっつええ感じ』で全国放送のゴールデンタイムに進出した」という記述になってしまう。東京に出てくる前のダウンタウンがなぜ「熱狂的な人気」を勝ち得たのかについての分析は一言もない。それでいて、「私小説=すべらない話を生み出した」ことにフォーカスが当たっていく。ここに大きなズレを感じるのである。
特にダウンタウンの後輩たちの記述がすべて、「すべらない話」を代表とするフリートークに限定されていくことから、違和感はさらに大きくなっていく。「すべらない話」で語った「車屋さんのキクチ」ネタを根拠に志賀直哉と対比される木村祐一、同番組での兄ネタなどを根拠に芥川龍之介と対比される千原ジュニア、また同番組で家族や知人ではなく自分自身をネタにすることを根拠に太宰治と対比されるケンドーコバヤシ。
確かにそれはウソではないが、かといってキム兄やジュニアやケンコバの特色がそこにあるのか、といえば首をかしげざるを得ない。「すべらない話」で彼らの魅力は存分に味わえるが、そこが彼らのホームグラウンドであるとは思えない。
逆に言えば、ダウンタウンとともに東京にやってきた今田・板尾・千原は「ケータイ大喜利」のレギュラーであるが、この番組と三人の笑いの特徴をフィーチャーするなら、本書はまったく別の流れになってしまう。
○「全国ネットバラエティ番組レギュラー=成功」という偏り
しかし、なぜこのような視点のズレが生じてしまうのだろうか。
それは筆者の見てきたお笑いの世界にあると思う。筆者は東京生まれであり、あとがきなどにも見られるとおり「テレビバラエティ」を中心にお笑いの世界を見ている。東京において全国ネットのテレビバラエティ番組にレギュラー出演することが筆者にとって「成功」であり、そこから外れることは落伍であり脱落であり、お笑いとして成功しなかったということになってしまう。
その視点が特に顕著になるのは、千原ジュニアの節である。大阪では大成功したが「東京でのレギュラー番組はすぐに打ち切りとなる」(215ページ)ことがお笑い的にも未熟だったからだと解釈されている。しかし、その後事故を経て「現実世界」から学んだジュニアは「新世紀のテレビバラエティを率いる芸人として、人気実力共に誰もが認める存在となった」(220ページ)と描かれている。
しかし、である。全国ネットのテレビバラエティ番組でレギュラーになることは確かに成功の一つではあるのだが、それだけの指標をもって「お笑いにおける成功」の基準とすることは決してできないはずである。全国ネットに出てこないハイヒールは決して筆者の視野には入ってこないだろうが、彼女たちが失敗しているとはまったく思えない。
また、テレビバラエティという限定された舞台のみがお笑いの世界ではないし、一人の芸人もまたテレビバラエティだけで活動しているわけではない。木村祐一は、本書で挙げられた「すべらない話」はむしろ余技であり、吉本新喜劇での存在感を抜きにして語ることはできないだろう。また、この著者の視点から言えばおそらく一発芸の落伍者とみなされるであろうレイザーラモンHGも吉本新喜劇に活動の軸足を移し、しっかりと地歩を固めている。テレビバラエティというのは一つの基準ではあるが、そこに限定することで見えなくなるものは多すぎる。
テレビバラエティ史を語るという趣旨であればそれはそれでよいが、テレビバラエティ「にも」出演している芸人をその枠組みの中だけで見ることは、決して妥当ではないだろう。
○『東京発テレビバラエティ番組史』に期待
この本のタイトルがもし仮に『「すべらない話」は私小説である』であったならば、私もここまで辛辣な批評をすることはなかったかもしれない。
しかし、「すべらない話」を生み出したダウンタウンと、「私小説」を生み出した夏目漱石をひっつける、というのは乱暴にすぎる。ダウンタウンの他の側面を無視し、夏目漱石の他の部分を無視しているからだ。何か一点の共通項があるからという理由で「○○は△△である」と言うのであれば、誰だって結びつけることが可能だ。もちろん、その共通性がその人物を特徴付けるのに欠かせない最重要項目であればその対比にも意味があるが、そうでないなら恣意的だというそしりを免れないだろう。そして、ダウンタウンの最大の「意味」は「すべらない話」ではない。
そして、筆者は関西のお笑いについて決定的に知識が欠けているようである。ここでは書ききれなかったが、ダウンタウン以前のさんまや紳助に対する見方にも大きな違和感、ズレを感じた。
一方、幸田露伴と泉鏡花のファンである自分としては、文学的な方向から見ても、それがさんまとタモリに当てはめられていることにやはり違和感を覚える。むしろ露伴の作品にブラタモリ的な土地探訪ネタが多かったりするのだ。人と人の比較は、視点を変えればいくらでも類似点を見つけてこじつけることが可能になってしまう。
もしこの筆者が(変なたとえを使わずにストレートに)『東京発テレビバラエティ番組史』を書くのであれば、素晴らしいものができるだろう。おそらくそれは東京=全国ネット番組を中心としたものとなるだろうが、欽ちゃん、巨泉、ドリフ、ひょうきん族、たけし、とんねるず、ウッチャンナンチャン、ダウンタウン、等々と続く系譜を描き、その中で関西勢がどのように東京に殴り込んできたか、という視点で書かれるのであれば、ぜひ読んでみたいと思う。次回作に期待したい。