タイム・トラベルはSFの普遍的な題材のひとつであり、それをテーマにした長編や短篇は膨大な数にのぼる。私がSFの中でとりわけ心ひかれるのは、時間と愛にまつわる物語である。
例えば、短い期間の中で青年が会うたびに大人になる不思議な少女を描いたロバート・ネイサンの『ジェニーの肖像』(創元推理文庫)。ファー・ジョーンズがジェニーを演じた映画版も素晴らしかった。ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」を聞く度に、ジェニーが現れるたびにこの曲が流れていたことを思い出して、胸がキュンとする。
ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」で同じことが起きるのは、この曲が映画『ある日どこかで』で使われていたからだ。古いホテルにかけられた女優の写真を見て、若き作曲家がそこにかつて自分に会いに来た老婦人の面影を見出す。過去のどこかで、自分たち二人は出会って恋に落ちたはず……。そんな確信のもとに、作曲家は古い衣装とコインを身につけて、女優がこのホテルに泊まった1910年代へとタイム・スリップしていく。このロマンティックこの上ない悲恋物語はクリストファー・リーヴの『スーパーマン』シリーズ以外での代表作だ。
リチャード・マシスンの原作は映画を見て、大分経ってから読んだ。もちろん、小説(創元推理文庫)で読んでも素晴らしい。映画版を見た時は、てっきりジャック・フィニィが原作なのだとばかり思っていた。「その時代の服と貨幣を身につけ、イマジネーションの力で時空を超える」というタイム・トラベルの手法がフィニィの『ふりだしに戻る』(角川文庫)と同じだったからである。そして時空を超えたロマンスといえば、フィニィの『ゲイルズバーグの春を愛す』(ハヤカワ文庫)に収録された「愛の手紙」を外すわけにいかない。
『時の娘』は、そんなせつなくなるような時間旅行のSF作品を集めたアンソロジーである。嬉しいことに、収録された作品の中で私が読んでいたのはウィリアム・M・リーの「チャリティのことづて」だけだった。十七世紀の少女と現代の少年が、それぞれコレラと腸チフスにかかった時の高熱状態のせいで時空を超えてテレパシーで通信するようになるという話で、可愛らしい初恋物語である。初恋は成就しないものだが、この二人は時代が隔たっているために、そのことを深く自覚せざるをえない。私はこの作品をコバルト文庫から出ていた「海外ロマンチックSF傑作選」の一冊で知った。
その文庫に収録されていた「たんぽぽ娘」もこの分野の大傑作だが、『時の娘』には同じ作者ロバート・F・ヤングの「時が新しかったころ」が収録されている。とある事件のために未来から白亜紀に遡って調査をしにきた男が、そこで地球に誘拐されてきた火星人の幼い姉弟と会う、といういかにもSF的な話だが、愛の力が時間を超えるラストはまさしくヤング節である。
ヤングを収録したのなら、やはりフィニィも。翻訳された二冊の短編集には未収録という「台詞指導」はノスタルジックな道具立てと街の描写がいかにもフィニィらしい。
映画撮影のために持ち出された1920年代のバスが1960年代のニューヨークを走った夜に起きた奇跡が時間と愛の残酷さを若い女優に教え、その真実が幼い女優を人の心を知った女性へと成長させるという物語である。時空を超えたことで、彼女は他の人ならば何十年も苦い経験を積んで知りうることを知る。
表題作の「時の娘」はロバート・A・ハインラインの『輪廻の蛇』(ハヤカワ文庫/絶版)を連想させるチャールズ・L・ハーネスによるタイム・パラドック物だが、エレクトラ・コンプレックスと狂気じみたロマンスを組み合わせているところが面白い。
C・L・ムーアの「出会いのとき巡りきて」は古代から宇宙が果てる未来まで、「スモークブルーの瞳を持つ娘」を求めて胸破れる出会いを繰り返す男の話。
バート・K・ファイラーの「時のいたみ」は、妻を救うために過去へと戻る男の苦い物語である。
「人生をやり直すための」時間のショート・トラベルを描くウィルマー・H・シラスの「かえりみれば」は女性作家らしい一編。
記憶における過去と現在に取り紛れた過去が二重写しとなって主人公を混乱させるR・M・グリーン・ジュニアの「インキーに詫びる」はアメリカならではのトリッキーな作品。日本だと、現在の道路に古い車が走って人々を過去へと誘うことなどないからだ。
最も技巧的かつ感動的なのは、デーモン・ナイトの「むかしをいまに」だろうか。交通事故で死んだ瞬間から時間を逆行していく男の物語で、フィッツジェラルドの『ベンジャミン・バトン/数奇な人生』(イースト・プレス、角川文庫)よりも更に凝った作りだ。センチメンタルなラストに胸を突かれる。
「未来で待っている」と女たちは言い、男たちは恋を求めて過去へと舞い戻っていく。愛にまつわる時間の観念が両者で違うのだろうか。大林宣彦版と細田守版。どちらの『時をかける少女』のファンにもお勧めしたい名アンソロジーである。
ところで、「時を超えようとする」SFのラブ・ストーリーで私が一番好きなのは、夭折した作家トム・リーミィの短篇『サンディエゴ・ライトフット・スー』(サンリオSF文庫/絶版)だ。ただこれ、正確にはタイム・トラベル物ではないのだけど。中年の娼婦が少年に恋をして、魔法を使おうとする物語。この短篇や、映画『三つの恋の物語』の一編「マドモアゼル」の原作を収録したロマンティックSFのアンソロジーがどこからか出ないだろうか。