15歳の少年ミヒャエルと、その母親ほどの年齢の女性ハンナとの恋の物語を、ナチス政権下の戦犯問題とからめて描き出した『朗読者』が、日本のみならず世界中で大ベストセラーとなったことは、(もう8年以上経つとは思えぬほど)記憶に新しい。エモーショナルで悲劇的な恋の推移を、煽ることなく、端正で静かな文体で見守るかのように書いた作家の文章には、どこか本業である法律家らしい抑制ぶりが効いていた。
その作家ベルンハルト・シュリンクの著作は、以降、つぎつぎと邦訳された。
たとえば、老いた私立探偵ゼルプが活躍するゼルプシリーズ――元弁護士との共著だった『ゼルプの裁き』、ドイツ・ミステリ大賞を受賞した『ゼルプの欺瞞』、三部作の最後を飾る『ゼルプの殺人』――は、統一後のドイツを舞台にしたオーセンティックな探偵小説ながら、ナチであった自らの過去を後悔するゼルプの姿に、読者は心を打たれたものだった(三部作はいずれも小学館刊)。
あるいは本業である憲法学者としての功績も、純然たる学術書として、『過去の責任と現在の法』は岩波書店から、また、共著『現代ドイツ基本法』は法律文化社から邦訳されている。
さて、そんな幅広く活躍するシュリンクの、いわば『朗読者』『逃げてゆく愛』系統が好きな読者にはお待ちかねといえる最新小説が、『帰郷者』である(この三作はいずれも新潮社刊)。
またしても、戦争によって運命が大きく変わってしまった、ひとりの少年の人生まるごとを包み込んだ物語に仕上がっている。
ふだんはドイツの都会で母と二人暮らしのペーターは、夏休みのほとんどを、スイスにある祖父母の家で幸福に過ごしている。ペーターにはまったく記憶のない父親の両親という彼らは、ふたりだけで小さな出版社を営んでおり、「喜びと娯楽のための小説」と名付けられたレーベルで、小説を何十冊と刊行していた。
ある日、ペーターは小説の断片を見つける。その物語は、長い戦争のあと、妻のいる自宅へ帰り着いた兵士が、再会に驚く妻のうしろに、見知らぬ男の姿をみとめるところで、終わってしまっていた。結末のページが抜けていたのだ。
帰還兵のその後が気になったペーターは、長じて、いまは亡き祖父母の出版社について調べ始め、その物語が実話であったことを突き止める。舞台となった町を特定し、夫婦が住んでいたはずの住居を捜し、作者について調査してまわる。ときに歴史研究家になりすまし、ときに調査で出会った女性と恋に落ちながら……。
ギリシア悲劇「オデュッセイア」を下敷きにした、かわいらしい謎解きで始まったこの物語は、次第に意外な展開をみせる。娯楽的な小説に描かれた他人事に首をつっこんだだけのつもりのペーターが、みずから、オデュッセウスさながら“冒険”の当事者となっていくのである。
「申し訳ない、バーバラ。ぼくは戻ってくるよ」
「わたしはもう、男を待っていたくはないの。もう充分すぎるくらいそうしたんだから」
「ぼくは急いでいるんだ」
彼女は首を振った。しばらくして、彼女は泣き始めた。それでも彼女は、ぼくの腕に抱かれてくれた。泣けるものなら、ぼくも一緒に泣いていただろう。(p259)
欠けた小説の書き手とは、いったいだれなのか。幼少期に死んだと聞かされた父親はどんな人だったのか。母親が隠していることはなんなのか。ペーターは、なぜかつての不実な恋人の息子マックスとの付き合いを断ち切れないのか――。
法を学んだペーターは、作中でも、「法と正義」の問題を繰り返し考えつづけるが、そのペーターに、ゼミ合宿へ参加せよと命じたコロンビア大学の法律学者との「対決」の場面は、とりわけ、意表をつかれる展開のひとつである。
ナチス政権下のドイツから、東西分断の壁が崩壊したばかりのベルリン、そして現在のニューヨークへと、あれよあれよという間に舞台は広がり、加速度をつけて一気に結末へ。
あまり紹介がすぎれば、「ネタバレ」となるのでこれ以上は控えるが、「帰郷」という普遍的な愛のテーマを、20世紀の歴史上の出来事と重ね合わせて、幾重にも幾重にも張り巡らせてゆくシュリンクの手腕は、『朗読者』以上に繊細かつ大胆である。
神話的物語に、センシティヴな恋愛小説、謎解きに、歴史小説に、サスペンス小説の要素まで。これぞ「シュリンク節」といわんばかりに、多様なる創作技法をもりこんだ本書は、歯ごたえのある読書をお望みの向きに、ぜひともオススメしたい一冊だ。