フィッツジェラルドの短編『冬の夢』について書くにあたって、まずお断りを。以下のテキストで引用するのはすべて野崎孝訳の『フィッツジェラルド短編集』(新潮文庫)のものです。他に「冬の夢」が読める本として、現在流通しているのは『若者はみな悲しい』(光文社古典新訳文庫、小川高義訳)があり、また絶版ながら古本屋で比較的容易に見つかる文庫で『雨の朝パリに死す』(角川文庫、飯島淳秀訳)、岩波文庫の『フィッツジェラルド短篇集』(佐伯泰樹訳)があります。
本稿では、翻訳の比較はしません(そんな能力ないし)。ですので、野崎訳のすばらしい鮮度、リズムに敬意を表して、この訳1本で進めていきます。
さて、本題。
80年代後半か90年代前半、いずれにせよ、後に「バブル」とか呼ばれる好景気で世の中がフワフワしていた時分に、あれはラウンジ、というのかな、京都に「フィッツジェラルド」という名前の店があった。あったと思う。たぶん、あった。
自信が無いのは、誰に聞いてもそんな店は聞いたことがないというし、ネットで検索しても、存在の痕跡すら出てこないから。しかし、ハッキリ憶えていることが3つあって、
(1)京都案内のガイドブックに載っていて、「フィッツジェラルド」という名前に惹かれてそこに行くのを決めたこと
(2)地理がよくわからず、とりあえずタクシーに乗ったら、運転手が「フィッツジェラルド? 聞いたことある気がする。たぶん、あそこだ」と、迷わず連れていってくれたこと
(3)男2人で行ったこと。しかし連れの男がハッキリしない――たぶん、いまM書房にいるHか、まったく生年と誕生日が同じO(音信不通)のどちらか――であること
店に入った瞬間、「しまった」と思ったのを憶えている。ドアを開けるとドレスを着た女性がジャズのスタンダードナンバー(曲名は失念)を歌っていて、店内はガラガラ、前のほうで企業の重役もしくは接待風の一団がまばらな拍手を送っていて、他にはボーイ以外、まったく人影はなし。ああ、これはどうしたって……と、思っているとホラ! こっちへ来た! 彼女はいまや俺たちのテーブルの目の前。
「なにかリクエストはありますか?」。そりゃそうだろう。そういう店なんだ。なんでもいい、「いつか王子様が」でも「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」でも、なんでも言えばよかったけれど、「いや、ないです」と答えるのが精一杯で、たぶん年上の彼女は少し淋しそうに笑って静かにまた向こう側に消えて行きました。その上品な笑いの意味は…… 「どんな店か知らずに入ってきちゃったんでしょう?」と「リクエストしてくれればいいのに」が半々で――と、2009年の46歳のおっさんは勝手に都合のいい想像をして、でも確かに、その笑いに嘲笑の感じはまったくなかった。
と、のっけからノスタルジー全開では先行きが思いやられる。しかし、フィッツジェラルドなのだし、それも短編『冬の夢』――選んだのは自分だが――について書くのだから、どうもこんなふうになってしまう。日本語訳で読めるフィッツジェラルド作品の中で、短編なら『冬の夢』と、迷いなく掬い上げることができるのは、理由として同じく短編『崩壊』の有名な冒頭――「Of course all life is a process of breaking down,(むろん、人生はすべて崩壊の過程なのだけれど……)←拙訳です」というフィッツジェラルド作品の真骨頂を、『冬の夢』ほど余すところなく実現した小説はないということが一つ。そしてもう一つは、個人的に大大大好きな、フランソワ・トリュフォーの最高傑作(と勝手に思っている)『恋のエチュード』のラストシーン、クルマのサイドガラスに映った自分の顔を見たジャン=ピエール・レオーの、あの悲しいモノローグとピッタリ呼応する作品だという点が挙げられる。もし『冬の夢』を読んで感応することがあった方は、できれば1人で『恋のエチュード』を観て(DVD借りられます)、身につまされてほしいものだと思います。
えーといかん。トリュフォーじゃなくてフィッツジェラルドだった。『冬の夢』は、金には困っていないがほんの小遣いかせぎのためにゴルフのキャディーをやっている男、デクスター・グリーンが、のちに夢中になる女、ジュディ・ジョーンズの出現によってキャディーを唐突にやめてしまう場面から始まり、ジュディとの恋愛や事業の成功で金持ちになっていくような日々を過ごしたのち、まずジュディその人を、しばらくして今度はその思い出と、思い出とともにある何か――それがたぶん、「夢」の一語に託されたものだ――を失ってしまうという小説である。