初めに、この本の中から引用してしまう。
「いまは、抗争事件とかで体を張って懲役に行くやつはアホですよね。まあ、組の看板を背負っているんだから、懲役も時には必要かもしれないけど、意味がないですよね。(中略)
懲役勤めしている間に組が残っているかっていったら、カネがなくなったら組もなくなりますから、もうそんな体賭ける世界ではないんですよ。(以下略)」。
と、これは武闘派として知られる暴力団の団員の発言だ。
また別のヤクザは、
「事件を起こして懲役に行くのが怖くないというような奴が買えるんだから」、必要な場合はそういうのを金で買えばいいのであって、結局、資金力が暴力団の力になっている時代なのだといっている。
私はヤクザに厭な目にあったこともあるのでつきあいは極力避けたい。ヤクザは日本社会の「必要悪」だとしたり顔でいう人間も嫌いだ。しばしば田舎政治家がそういうことを言う。ヤクザはいない方がいいと思う。しかし、今やヤクザは一部投資家、投資会社にとってなくてはならない存在だというのである。
私はこの本のもとになったNHKのテレビ番組を見ていないが、「ヤクザマネー」というドキュメンタリー番組を制作したスタッフのノンフィクションだと知って読んでみた。いやはや、つくづく金の世の中になってしまったと教えられる。ヤクザの世界など知りようもないので、この本で読んでみると、ヤクザは時代に対応して進歩し続けているとしか言いようがない。
「任侠」を重んずるヤクザならいいかというようなことではなく、アンダーグラウンドで巨額の資金を動かすというのはこういうことかと、ヤクザの隠然たる力、巨大な闇の支配力を知らされる。
投資や株取引について全然詳しくないが、いまヤクザが物理的な暴力ではなく「資金力」で闇の世界を制覇していることだけはしっかりわかった。そのことを淡々と、危機をはらみながらまとめている。
もっともわかりやすかったのが、IT関連の起業をした人が、ある程度会社が大きくなったある時すぐに追加資金が欲しいというような場合、銀行だの公的な金融機関に金を借りようと思っても審査だのなんだので時間がかかってしまうが、ヤクザなら「明日二億円必要なんだけれど」というとすぐに用意してくれるという。こうした資金力にも驚く。
もちろん、どう転んでもヤクザが損をしないように、例えばその会社の株を「コントロールできる数」渡すというようなことはあるにせよ、とにもかくにも金は貸してくれる。それで儲けられれば、金を利子付きで返し会社も安泰、その後も会社が続けられるという例をあげている。これが、実は非常に多いらしい。規制が緩和されて、若い起業家がどんどん現れた状況に目を付けるヤクザの鋭さ!
ああ、そういうことか、とある意味で納得させられる。
また逆に、金に黒い金も白い金もないでしょう、金は金で運用して儲けを出して、借りたところに返せばいいのであって、その相手がたまたまヤクザだからといってどうということはない、と割り切った投資家も大勢現れているというのだ。これにも、ああ、そうなるか。と、感心してしまう。金を出してくれる相手なら誰でもいいのだ、という割り切りが今風である。
暴力団からの資金は、監視の目があって直接的に投資先に渡せないが、海外の投資会社を何社も通せば(このあたり私にはよくわからないのだが)、もとがヤクザの金だなんて全くわからなくなり、警察の追跡も届かないのだそうだ。あそこの企業が怪しいの、今度の株取引が変だのといっても、金の出所が暴力団だと証拠立てることができないので、ヤクザマネーは増えていくばかり。
この辺の話は、テレビで見ていれば案外楽に理解できたかも知れない。図解や、この人物がこの男を紹介し、資金はこういう風に投資家の手から別の投資家の手に渡り、ということを見てわかるように放映しただろうから。この本を読んでから、その番組が見たくなった。
さらに、元銀行員、元証券マン、ディーラーなど、その方面でかなり腕の立つ人間を集めて、そうした人々と組むヤクザがいるのだ。普通のマンションの一室に多数のコンピューター・モニターを並べて、「今の株の動き」を読みながら、ヤクザの資金を運用していく集団。こうした場合は「ヤクザと普通の人」の間で契約を交わし、技術を提供してもらって金を出す、ということだ。時に損をすることはあっても結局は裏の世界の情報網を利用して、企業内部の情報を入手し、ドカンと儲けては次へ、ということになる。ヤクザとして支配するのではなく、ヤクザマネーを資金として提供するから、あんたたちのこれまでの経験とプロの腕でこの金を増やしてくれよ、というありようだ。
こうしたヤクザの多くが、ヤクザの「記号」である奇妙で派手なファッションをしていることがなく、きちんとした企業の役付きに見えることが多いと書いている。
まぁ、話していて目つきを見ると「普通の人ではない」という凄さを見せる瞬間はあるというけれど。
テレビのドキュメンタリー番組を作るときの記録なので、余計な修飾語がなく、正しい意味でハードボイルドで面白い。読み終えて、面白いとはいっていられないが、金のために頭を働かすということはこういうことでもあるかと、そう、感心してしまった。頭を働かしながら、その裏側に「暴力的な力」を常に維持しているのが、恐ろしい。日本の警察がそこに踏み込めないでいるのが歯がゆい。
とにもかくにも、金、である。そのことをしみじみ再確認させてくれる本で、面白いことは非常に面白い。しかし読後、少々うなだれる。