この関東ツアーと並行して、著者は日本文化の「地下水脈」をつぎつぎに明らかにしていく。
たとえば、力者(りきしゃ)だ。力者は、近世にあっては、おそらく甲斐に独特の被差別民で、大きな寺社に奉仕する中世以来の力者法師系の者と、河川管理、特に川沿いの植えられた竹御林(御竹林)の保守に当たる者とからなっていたと、著者は推察する。非人、力者とも、農民との縁組み、同一地域での同居はきびしく禁止され、同火も忌まれた。同火の禁とは、同じ火で調理されたものの飲食を禁忌とすることだ。タバコの火の貸し借りもいけない。
乞食もまた、生業であり、正業だった。当時、全国の警察署は「乞食」をそれなりに注視していたらしい。「乞食」という言葉には、箕直しや差皿売り、移動型の川漁師など非定住の職能民と、その家族が含まれていた。彼らを犯罪常習者、すくなくとも犯罪予備軍と見なし、警戒を怠らなかった。その網に黒装束五人組は、かかったことになる。
著者は、柳田國男、喜田貞吉、後藤興善、沖浦和光と、つづいてきたサンカ研究の最前線に立つ。筒井功の地を這うような取材調査(『漂泊の民サンカを追って』『サンカ社会の深層をさぐる』ともに現代書館)により、サンカの実像はほぼ決定的となったと言える。
その成果を簡単に紹介する。
「中核にいた者は代々の無籍者であり、だいたいは文盲であり、その日常には非定住性、漂泊性が強かった。生業はさまざまとはいえ、原則的には特定の細工と、その製品の行商、川魚漁、門付け芸ないしは大道芸、物乞いなどのうち、複数を兼ねていた。そういうことは普通の農民、漁民、勤め人などには決して見られない」
「サンカは決して均質な集団ではなかった。地方ごとに、その生業にも生態にも大きな差があった。むろん全国に号令するような大親分など、いるはずもない。同一の掟や不文律も存在しなかった」
こうした実践的研究によって、従来のサンカ像などは、粉々に粉砕されることになる。こと、サンカ小説を量産した作家・三角寛のサンカ像は、ほとんどが虚偽、フィクションと証明された。この過程は、筒井の手による『サンカの真実 三角寛の虚構』(文春新書)に詳しい。
しかし、残念なのは、三角寛の捏ね上げた観念を現実のサンカ像として、無批判に紹介するむきの、いまだに絶えないことだ。『カムイ伝講義』(田中優子著・小学館・2008年刊)では、三角を「サンカ研究者」として柳田と併記し、「サンカは組織を持っており、その証としての『ウメガイ』と呼ばれる両刃のナイフや、独特の言葉と掟がある」と、そのまま受け入れている。この一節が、この本にとって、まことに惜しい。
本書は、著者が「業」と呼ぶ執念と、軽快なフットワークの賜物である。この執念は、どこから来るものだろうか。それは、名誉、立身、進歩、栄達と無縁で生涯、陽の当たらない人生をおくった人びとへの共感ではないか。
元サンカの人びとも実名で出てくる。しかし、プライバシーを侵害しているわけでなく、読後感も心地よい。取材者と被取材者のあいだに良好な信頼関係が築かれていることが、読み手に伝わってくるからだ。そして、そこからは、近代化、一元化以前の庶民の姿と、隠された地誌が鮮明に立ち上がってくる。