また、ジャズ史上で有名な1954年の「クリスマス・イヴの喧嘩セッション」として、マイルス・デイビスとセロニアス・モンクが唯一共演した名高いアルバムのエピソードも描いている。
アルバムリーダーのマイルスにとっては、当時のプレスティッジ・レコードの社長に勧められたピアニストのモンクではあったが、あまりにも個性が強いタッチの演奏スタイルの持ち主であったので、曲想によっては起用に違和感を持っていた。
このため事前の打ち合わせで、マイルス自身のトランペット・ソロのパートではピアノを弾かない様に厳命する。このモダンジャズの大先輩モンクに対する無礼な注文の悪感情はスタジオ内に持ち込まれ、演奏の収録最中にも不穏な空気が支配する。
勿論、モンクはマイルスのパートのバッキングでは弾かないばかりか、「ザ・マン・アイラブ」のテーマでは急にピアノを弾き止めてしまうというハプニングが起こる。動揺するリズムセクションの演奏振りに、スタジオの壁にもたれて聴いていたマイルスは慌てたが、ピアノソロを続行するようモンクにトランペットで合図を送る。
なにか吹っ切れたように、猛然とソロを再開するモンク。このあたりの1コマ1コマに描かれる人物の表情や駆け引きの様子が面白い。
このような異様なスタジオ収録の一部始終が、バッチリと録音されたアルバムを今でも聴くことができる。こうして制作された『マイルス・デイビス・アンド・ザ・モダンジャズ・ジャイアンツ』は、緊迫したスタジオの空気の中で全員が全力を出し切ると言う稀有の成果を収める事になり、イースト・コースト・ジャズの真髄とされる程の傑作となったのだから、ジャズと言うのは本当に人間臭くて興味が尽きない。
本書で扱ったエピソードをほんの一部だけ紹介したが、歴史を知るとジャズはもっと面白くなる。これには、難解な楽理や流派解説よりミュージシャンの人間像とジャズの流れを一緒に理解するのが一番手っ取り早いと考えられる。
しかし、これまでジャズ・ジャイアンツと呼ばれる巨人達の軌跡をトレースした伝記はあったが、ジャズ史100年間の中で、それぞれ節目のジャズシーンに登場するジャズ・ジャイアンツ以外の、過小評価に甘んじるミュージシャンも視野に入れた構想から、マンガという手法でジャズ・ストリームを的確に描いたものでは、本書『Jazz It Up!』が類書を見ない存在の様に思われる。
ジャズ史の解説書では作品の位置付けや歴史的な流れは理解できるが、概論だけでミュージシャンのプロフィールと個々のアルバムの特長が結びつかない。また、ミュージシャンの発表するアルバムを聴いただけでは、演奏される曲想や狙いは解るが、その作品のイノベーション的な意義や時代の評価で解らない事も多々ある。
例えばジェリー・マリガンのように、バリトンサックスでピアノレスのカルテットを何故に挑戦したのかと言う疑問などジャズ史を知らない者にとっては、それまでの楽器の伝統的な位置づけや過去の作品の音楽的遍歴はライナーノーツを読んでもピンとこない歯痒さがあったところだ。
本書では、この様なミュージシャンの発想動機と行動するエピソードが適切に挿入され、数コマを割いた該当するアルバムの紹介も大いに納得できる。
この300ページを超えるジャズの大河ドラマは、黎明期からポスト・モダン期のジャズシーンまでマンガの特性をフルに生かして、音楽スタイルの変遷とミュージシャンの人間性を絡めて丸ごと解ってしまう。モダンジャズの入門者にも、また、かなり詳しい人にとっても楽しく読み応えのある格好の本になると思われる。
本書のリコメンド・コピー風に言うと、「ジャズ100年の“美味しい聴き方”マンガで全部わかります。」と言う訳である。
本当のところ、この『Jazz It Up!』に足らないのは「音」だけかも知れない。