フォークナー評価は、過去八十年というもの、激しい乱高下にさらされている。1930年代にはあまりに難解な書き方のゆえ賛否両論だった。 1949年、ノーベル文学賞を受賞し、かれの文学評価は頂点に達した。しかし1960年代、マーチン・ルーサー・キング率いる黒人の公民権運動(黒人に選挙権を!)が盛り上がり、「ブラック・イズ・ビューティフル!」というスローガンを生んだ時代には、フォークナーはすでに過去の作家になっていた。なにしろ当時の黒人エリートたちは誇り高く凛々しく、その時代の空気は、たとえばポップ・ミュージックの『エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ』や『ヤング、ギフティド、アンド・ブラック』にも反映している。その上、1970 年代の女性解放運動もまたフォークナー的マッチョなアメリカを終らせたかに見える。
しかし1982年、ガルシア=マルケスが、奇想天外にして桁外れな大作『百年の孤独』とともに、ノーベル賞を受賞し、「フォークナーを父として殺すこと」をみずからの文学観として語ったとき、その言葉にはむしろフォークナーへの嫉妬と賛美の色彩こそがあった。だが、同時にその1980年代はまたサイードが文学作品にひそむ政治を読むことをはじめた時期であり、サイードはたとえばカミュの『異邦人』に(あえて凡庸な正論をぶつけ)カミュを告発する読みを示し、こうした読みを文学解読に波及させていった。むろんこうした時代にフォークナーが無傷でいられるはずはない。それからまた南部じたいもいまやNASAに代表され、それはもはやフォークナーの描き出す、亡霊たちの棲みつく土地とはとっくにかけはなれてしまった。
では、さすがのフォークナーもとうとう文学としての耐用年数を終えてしまったのだろうか、あるいはフォークナーは<アメリカ近代文学史>というゲットーのなかでだけわずかに命運を保っているだろうか? 実はそんなことはけっしてない。たとえばガルシア=マルケス読みはおのずとフォークナーに手を伸ばすだろう。あるいは林文代のようにトマス・ピンチョンの『競売ナンバー四十九番の叫び』のように開かれた謎をめぐる小説として読む人も現われる(2)。J.M.クッツェーですらフォークナーを斬り捨てたくともできないことを了解している。クッツェーはフォークナーの人生の軌跡を(いかにも文学部の教師の手つきで文学事典さながら公平に)詳述し、とうぜんのことながらかれのレイシズムにも触れ、最後にはフォークナーのアル中と家庭内暴力の問題も注目を喚起し、さりげなく否定的なニュアンスを強調する。ただしそんなクッツェーであってなおその言い方はこんなふうである。「さて、どんなフォークナーの評伝の書き手もいまのところこうした伝記的事実との関係を論じて成功したものはいません、しかしながら、おそらく依存症に意味を与え、ふさわしい語を見つけ、フォークナーの自我の経済学において“依存症であったこと”に場所を与えたとしても、けっきょくそれは謬見にもとづく大仕事になることでしょう。」(3)おれはおもわず笑った、いかにもクッツェーのシニカルなユーモアが感じられるからね。そう、クッツェーは<文学至上主義>と<政治的に正しい文学>という非和解的なふたつの立場をぬかりなくまなじりにおさえ、ただしどちらか一方に組することなく、ハイブロウな笑いをさらりととる、(おそらくはフォークナーのあまりにぬけぬけとした差別意識にうんざりしながらも)。