「背景の風景が、すとんと抜け落ちたような気がした」という不穏な描写から始まる、俺の一人旅。場所は、バンコクのスワンナプーム国際空港。俺がタイに来るのは学生時代以来の15年ぶり。日本からのファーストクラスの旅のようだが、なんだか、あんまり楽しそうじゃない。
現地のレストランで働く武志という若く溌剌とした青年に出会うことで、俺の旅はかろうじて最低限の活気を帯びてゆくが「武志の話を聞いていると、自分がいかに横道に逸れずに人生を歩んできたかを気づかされた」とあるように、俺は、平凡で小心者でつまんない男らしい。
そのことは、最初の夜遊びシーンによく表れている。武志に連れられてゴーゴーバーなどの風俗店をはしごし、久しぶりに無防備に酔い、武志の友達のミントという「素人の子」まで紹介してもらう俺。ミントは「すばらしい肌の持ち主」で「やわらかく、微かにレモングラスの香りがして、まるでホテルのベッドシーズと繋がっているような清潔感」があり、2人は翌朝、テラスで「微笑み合うだけの朝食」をともにする。なんか、最高に楽しんでるって感じ?
しかし、残念なことに俺のツメは甘く、朝食の途中で突然、こともあろうが「妻」の姿を思い出してしまうのだ。そのときのミントへの俺の態度はかなり異常で失礼なうえ、あとになって「タイの女性たち全員を、侮辱したように思えた」なんて後悔しているし。ああ、妻のいない場所で遊んでいながら、こんなふうになっちゃうダメな男! ここからこの小説は「ダサい男が抱えている何か」をめぐるミステリーになっていくのだ。
一方、バンコクでの生活を楽しんでいるように見える武志の態度も微妙で、ミントの素性を気にする俺に対して「ちょ、ちょっともう勘弁して下さいよ」といきなり興奮したりする。武志もまた、日本より貧しい国に来て貧乏ぶっていた自分を浅ましく思ったり、お金を持って遊びに来る日本人に反感をおぼえたり、タイの金持ちの態度にぞっとしたりする日常を過ごしており、つまり、赤裸々な格差に敏感になっているのだ。武志はこんなことを言う。
「嘘って、つくほうが本当か決めるもんじゃなくて、つかれたほうが決めるんですよ、きっと。もちろん嘘つくほうは、間違いなく嘘ついてんだけど、嘘つかれたほうにも、それが嘘なのか本当なのか、決める権利があるっていうか」。
なんてまどろっこしい言い方! でもこれが、格差に敏感な男に特有の、優柔不断なメンタリティなのだと思う。真実を追求せずに、あえて騙されたり虚構を楽しんだり、そんな曖昧な生き方もあるということだ。この小説に出てくる日本人は、皆、タイに魅かれながらも、どこか変。コンプレックスを直視せざるを得ない状況にあえて身を置き、無理やり楽しんでいるような。そもそも、なぜ俺は妻を置いて一人でタイへ来たのか?
アユタヤの遺跡では、突然血の気が引き、その場に蹲りそうになる俺。今度は、公社職員としての自分の仕事や人間関係のフラッシュバックである。さらに、ミントの部屋を見て宇都宮郊外の自宅を思い出してからは、俺の回想は加速し、ムエタイの試合というアグレッシブなクライマックスへと導かれてゆく…。
この小説には、平凡の恐ろしさが描かれている。平凡な人間が感じる風景の恐ろしさが。『元職員』というミニマムなタイトルがそこはかとなく不気味だし、取るにならないことを、くっきりとした輪郭であぶりだしていく手腕には、独特の冷たいスリルがある。
小説を貫くトーンから連想される現実の男は、こんなキャラクターだ。組織が好きで、他人との比較の中でしか生きていけない男。比較している限りは永遠に誰かに負け続けるに決まっているのに、それでも比較せずにはいられない男。だけどやっぱり負けている自分を直視するのが嫌で、細部の満足を探し、小さな自慢話を果てしなく続ける男…。もしかして、その辺によくいるタイプ!?
ダイナミックとは言いがたい、こういうケチで不自由な生き方は、女にはなかなか理解できない。女は、もともと勝ち目のないマイノリティだから、比較という概念の価値がわからないのだ。ミントという美しいタイ人の、娼婦としての生き方なら共感できる人も多いと思うけど。
『元職員』は、普通の女には理解できず、普通の男は直視したくないであろうサイレントなメンタル領域に踏み込んだ、禁断の異次元小説なのである。
ファーストクラスの機内に、高級ブランドショップに、シャンパンメーカーが主催するパーティーに、俺のような男が潜んでいるかもしれないと思うと、かなりコワい。っていうか、イヤだ!