以前ニューヨークタイムズの記事で読んだブラジルの民衆詩人たちのことがずっと気になっていた。彼らの詩はコルデルという名で呼ばれていて、サンパウロやリオデジャネイロなどの大都市や北東部農村地帯の青空市などで今も売られている。売っているのは作者本人だったり、販売を請け負う個人業者だったりする。そんな業者が存在するのは、コルデルを買い求める人たちが確実にいて、それを売って生活ができるからだろう。詩が生活を支えるなんて、日本では考えられないことだ。
「ブラジル民衆本の世界―コルデルにみる詩と歌の伝承」の著者のジョゼフ・M・ルイテン氏は、10000種類以上ものコルデルを持っているという。今までに30000種類以上のコルデルが作られたというから、その3分の1以上を集めたことになる。どうやって集めたのかはこの本には書かれていないが、大半は各地の青空市をまわって、詩人や業者から直接買ったのではないだろうか。その中から際立った詩が、主題ごとにまとめられて紹介されている。広場で自作のコルデルを並べて売る詩人たちの写真もあって、そこに写っている民衆の真剣な様子がおもしろい。60年代に街頭でフォークソングを聞いた日本の若者たちのようだ。コルデルは自主制作のCDであり、インディーズのロックなのだ。
コルデルの歴史は中世のヨーロッパに始まるという。巡礼以外の旅は規制されていた時代に、巷の出来事を人々に伝えるのは、自由に移動できた吟遊詩人たちの役目だった。彼らは最初、楽器を持って歌い歩いたが、そのうち印刷機が発明されると、その詩を印刷した小冊子が売られるようになった。その当時から、ポルトガルではそういった小冊子をコルデルと呼んでいた。コルデルはやがてカトリックの宣教師によってブラジル北東部の農村に広められて根付く。そこで詩が人々の娯楽として開花したのは、中世のヨーロッパと同じ土壌だったからだという。世の中の進歩から取り残され、識字率も低かった。あるときは朗読され、あるときは歌われるコルデルは、ブラジルの北東部の貧しい人たちの血と肉になった。詩はみんなで聞き、みんなで読むものだった。
小冊子は文庫本ぐらいの大きさで、表紙には木版画や写真が使われる。木版画はとてもユニークで、ポルトガル語がわからなくても集めたくなってくる。ブラジルでは今日でも、音楽やテレビや映画と同じようにコルデルが読まれているという。新作がどんどん生まれているところは沖縄の民謡にもよく似ている。今年は日本人のブラジル移民100年だそうで、先日横浜の赤レンガ広場では、ジルベルト・ジルとガンガ・ズンバのフリーコンサートがあった。ジルベルト・ジルの新作CDのタイトルにもコルデルという言葉が使われている。
しばらく定期的に送ってもらっている高知新聞でも、高知県出身のブラジル移民の足跡をたどる連載が続いている。コルデルにはそんな日本人の移民についての詩も多いようだ。
ぼくは「ブラジル民衆本の世界」を読んで、ブラジルのことがもっと知りたくなってきた。著者のジョゼフ・M・ルイテン氏は日本の大学や博物館に勤務したこともあって、大阪の国立民俗学博物館に行けばコルデルの実物が見られるという。そのすべてが見られるのかどうかわからないが、2500種類ものコルデルを所蔵しているという。ブラジルでコルデルがすたれないのは、読者がエリートではなく民衆であることを詩人が忘れないからだろう。ときにはコルデルは、政治や宗教にも利用されてきた。いい意味でも悪い意味でも、コルデルはフォークソングの原点のような気がする。はじめから朗読されたり歌われたりするために書かれてきた詩は、これからも民衆の言葉であり続けるだろう。