ある程度大きな町なら必ずといっていいほど点在しているのがライブ・ハウスだ。生演奏で音楽を気軽に楽しめる場所。だが、そんな本来果たすべきライブ・ハウスの役割がいつのまにか忘れられてしまっている、ならば自分が作ってみようじゃないか、とするのが本書を書かれた佐藤ヒロオ氏の主旨である。1970年代に台頭し、今やすっかり定着したかのように映るライブ・ハウスも、細かく見ていけば克服すべき様々な問題点があるのだな、と本書を読んで思いを新たにした。
まず佐藤氏が嘆くのは、ライブ・ハウスがいつしか若者専用のスポットと変貌してしまい、結果大人の客層を締め出してしまっているという現状に関してだ。地元に気になるライブ・ハウスがあっても一人で初めて入るのにはかなり抵抗がある…。そんな思いを抱えた方々も案外多いのでは。とくにポップスやロックといった比較的若い世代に共有される音楽ジャンルの場合、ライブ・ハウスが一定の音楽家とそのファンのためだけの集会場と化してしまっているのだ。これでは風通しがいい音楽環境とは言えないだろうと氏は憤慨し、音楽を特定のファンにではなく、もっとカジュアルに楽しみたい大人に届けようと奮闘する。そうした目線のあり方は本書に一貫して流れている情熱的なものである。
出演バンドに客数(すなわちチケット)のノルマを課すようなスタイル、すなわち金儲け至上主義が一般的になってしまったことが音楽的な質を落とし、ぞんざいな接客が閉鎖的な雰囲気を生み出していると佐藤氏は看破し、オーナーが現場を他人任せにしているような店、あるいは企業がイメージ戦略の一環として資本を投じているような会場を反面教師としながら、自力で店作りのノウハウを学んでいく。出演者にはあえて集客を求めない。バンドの選択は自分たちが行う。出演をメジャー進出のための足掛かりとしか考えないようなパフォーマーや所属事務所は警戒してみる。初めて一人で来るようなお客さんを無下にしない。他店のメニューが高いと感じたら、一番安く設定することで目立ってみる…その他もろもろ。いわばそんな逆転の発想を積み重ねながら、佐藤氏が荻窪にルースターという店を開いたのは97年のころだった。日本でのライブ・ハウスの歴史を思えば、70年代の黎明期を経て、“イカ天”に象徴される狂騒のバンド・ブームを通り過ぎてからの第三世代に当たるのかもしれない。
開店に至るまでの佐藤氏の自己遍歴や苦労話もたっぷり紹介されているので、同業を志す人たちには参考になる部分も少なくないだろう。資金調達のために会社を辞め、自動車工場の過酷なアルバイトとして一年間死にもの狂いで働いたという体験からは、どうしてもあきらめないぞという強靭な精神が伝わってくるし、『ぴあ』誌に掲載してもらうために店のスケジュール表をこまめに送り続けたというエピソードは、地道な努力なしに成功はあり得ないことを仄めかす。しかし最も感じ入るのは、好きで始めたことだから拝金主義には陥るまいとする氏の心のあり方なのかもしれない。それはすなわち、異業種から転職してきた者だからこそ見渡せる視界であり、とことんインディペンデントであることの強みでもある。どんな分野であれ、憧れて入った世界のシビアな現実に失望し挫折する人は少なくないが、佐藤氏の場合、好きなことをパワーに変えてしまう馬力と知恵に長け、チャンスに恵まれたということなのだろう。
むろん人の見方や感覚によっては、氏がこの書で掲げた理想と現実との乖離があるのかもしれないし、経年とともにやや軌道修正した経営方針が正直に語られてもいる。事実05年には2号店としてルースター・ノースサイドをオープンさせるのだが、ことらはより広範囲に及ぶ演奏家たちに場所を開放することを第一義としたレンタル・ホールであり、こだわりを持ったルースター本店とは異なるカラーをあえて打ち出すことになったのである。しかしこれは宗派変えというよりは、いろんな方法論を試してみるための一形態と考えるべきだろう。敷居の高さや内輪ノリを何より嫌う氏の姿勢は、少しも変わることがないのだから。
ちなみに佐藤氏が好み、本店中心に出演を依頼している音楽は、ブルースやジャズといった年齢を重ねるごとに味わい深く熟成し、またセッションなどが頻繁に出来る自由度が高い種類のものだという。ポップスやロックのマーケットとは比較にならないほどマイナーな世界なれど、その故に流行には左右されず、むしろ注ぐべき愛情が増していくといった音楽との関わり方こそは、ライブ・ハウスという“現場”に於ける信頼という名の生命線だ。人々と音楽とが自然に交差し、笑みを交わすルースターという店があり、荻窪という町から何かを発信している。本書はそんな店にまつわる体当たりの報告記である。