また、サッカーではタッチラインに沿った縦のエリアを使ったサイド攻撃が重要だ。私のようなにわかサポーターでも、敵陣深く切り込んだウイングからセンタリングが上がり、それにフォワードがアジャストすることで得点シーンとなる可能性が高まることくらいは知っている。そういう展開に持ち込むのに何が大事かといえば「数」である。つまり、サイドでプレーする選手を多くする。
例えば「3-4-1-2」と「4-2-3-1」が相まみえた場合、サイドを突く役目は前者では2列目の「4」の両脇2人だけだが(3バックの場合、ゴールを守るサイドバックは横に広がっての攻撃参加は難しい)、後者はサイドバックとサイドハーフで4人いる。片側のサイドでいえば「1:2」の関係になって、前者に不利となる。ゆえに、先述したように「3-4-1-2」では、サイドが押し込まれて「5バック」に陥りやすいのである。
と、分かったふうなことを書いている私だが、確かにこのように「布陣」からサッカーを眺める方法を教えてもらうと、かなり「分かった」気になる。相撲では「合い四つ」「喧嘩四つ」があって、立ち合い前からどういう組み手になるか、ある程度想像力を働かせることができる。また、野球だと相手チームに左打者が多ければ左腕を登板させるのが「セオリー」とされるが、試合展開を左右するうえでそれらとは比較にならないほど大きな要素となるのが、サッカーの布陣ということなのだ。
恥ずかしながら私はこれまでずっと、サッカーは個人技を観戦するスポーツだと思ってきた。自陣深くから巧みなフェイントとドリブルで相手を次々とかわして攻め上がり、矢のようなシュートをゴールに決める……そんなスーパースターのプレーを見るのがサッカーの楽しみだ、と(1986年メキシコW杯のマラドーナの「5人抜き」とか)。
だから、大方のサッカーはむしろ退屈に映る。ボールはすぐに相手に奪われるし、パスはさえぎられるし、やっとこシュートにこぎつけてもボールはバーのはるか上。欲求不満ばかりがたまる。もう後半の40分、プロレスならそろそろスタン・ハンセンのウェスタン・ラリアットが炸裂する時間だけど……と思いながら90分見終わって、結局「0-0」だったりする。隔靴掻痒とはこのことだと理解した。
もちろんサッカーに限らず、すべてのチーム競技で「個人技」の優劣は勝敗を左右する。サッカー選手であれば、相手との1対1勝負は必ずものにしなければいけないし、2人からプレスを受けても切り抜けられる技量を常日ごろ磨いているはずだ。しかし、はなから選手が「1:2」の不利な状況で常にプレーしなくていいような仕組みが整えられていれば、話はもっと簡単なのだ。いかにゴールにつながる可能性の歩留まりを高めるか。それが監督(コーチ)の仕事ということになる。