植草甚一さんが散歩の途中にのぞくのは本屋だけではない。中古レコード屋からアクセサリー屋、高級紳士服を仕立てる洋服店までのぞく。そしていい柄の生地が入荷しているのを見ると、ついついその場で注文をしてしまう。紳士服店の店頭に、生地の見本が並べられていたことを、今の人たちは知っているだろうか。ぼくは今まで気がついたことがなかった。昔は洋服はその場で買うものではなく、作るものだったのだ。
そんな風に行く先々で洋服を作り、いい喫茶店を見つけると入って一服をする。夜には銀座のバーでジンを飲み、まだ時間が早いからとムシ風呂(サウナ)に行く。そうやってたっぷりと遊んでからタクシーで家に帰り、朝まではりきって原稿の仕事をする。この「J・J氏の男子専科」を読んでいると、植草さんの生活ぶりはどうもそんなようだ。洋書やレコードを買って、その上たっぷりと遊んでも、お金の心配はほとんどしていないのがいい。
植草さんが原語で読むのはイギリスやアメリカの本ばかりではない。紀伊国屋でフランスの新刊を見つければさっそくその場で買って近くの喫茶店で読んでいる。政治、経済を除けば、ほとんどの分野に興味があるというから、読む量も半端ではないだろう。そんな植草さんの興味の範囲の広さを知るのに、この「J・J氏の男子専科」はちょうど手頃に思える。
着るものから食べるもの、ボクシングのことや西部劇のこと、はてはサウナ風呂やゲイバーのことまで、すべてが植草さんの生活の一部のように書かれている。そして何よりもこの本でよかったなあ、と思えるのは、「どうして今まで外国へ行かなかったか」という文章に出会えたことだ。植草さんは66歳ではじめてニューヨークに行くまでは、一度も外国に行ったことがなかった。行こうと思えばいくらでも行けたはずだけど行かなかった。それがどうしてか、ということがわかってうれしくなった。
海外の新聞には切り抜いておきたいようなめずらしい記事がよく載っている。その日も植草さんはイギリスのサンデー・タイムズ紙を切り抜いていた。26歳のイギリス娘が自作の小型帆船で、たった一人で大西洋を横断するという。だけど予定していた日はあいにく風がなく、出航はその翌日に延期になった。でも出航できたかどうかは、次の新聞が届くまでわからない。そこで植草さんは一人空想してみる。空想は植草さんにとって何よりも興味深いことなのだ。散歩を他人と一緒にしないのも、空想する時間がなくなってしまうからだという。空想こそが植草さんにとって一番大切で楽しいことなのだ。だから植草さんは66歳になるまで一度も外国に行かなかった。
「イギリスの小説や推理小説をいくつも読んでいると地名が中心になってロンドンのイメージが漠然とだけれど浮かび上がってくるものだ」。実際に行かなくても、植草さんの頭の中には小説の舞台になった町の地図ができあがっていく。部屋から一歩も出なくても、たくさん本を読めば想像の旅は可能なのだ。植草さんは、自分はそんな想像の旅の楽しさがわかる一人だという。本には書く人と読む人がいる。どちらも一枚の鏡に映った想像の旅人である。