小説の竜頭蛇尾はいただけない。せっかくいい感じで読んでいても、ラストがこけるととても悲しい。貴重な金と時間、そして宙ぶらりんのままの気持ちをどうしてくれると叫びたくなる。もう、なにもかも納まらない。
じつは今回紹介する『ワルボロ』は、そんな竜頭蛇尾モノの感が漂う一冊だった。でも、不思議と読後感は悪くなかった。なぜなら竜頭の部分、つまり、つかみが相当にOKだったため、ちょっと蛇尾でも許せてしまったところがあった。
これは作者ゲッツ板谷の中学生時代を下敷きにした、自伝的要素の濃い青春小説である。自伝的青春小説といえば、個人的には井上靖の『夏草冬濤』『北の海』が金字塔として思い浮かべられるが、この『ワルボロ』には、ああいう健全さは欠片もない。作者の分身であろう主人公の板谷をはじめ、登場する70年代末の東京・立川一帯の不良中学生たちが、全編にわたって悪さの限りを尽くす。タバコなんかは当たり前。ケンカ相手に重傷を負わせるは、女連れでクルマを乗り回すは、本物の拳銃を手にするは、大童なのである。タイトルどおり本当にワルくてボロボロ。もし全部が実話に基づく話だとしたら、実録少年犯罪小説と銘打ってもいいような内容となっている。
なんとか青春小説の体裁を保っているのは、かつて日々こうした類のことを体験しつづけた作者の暴力に対する間合いがスポーツに対するそれに似て、ごくごく普通であるため、痛々しいはずの描写が妙に爽やかで、ときにユーモアさえ漂ったりする部分であろうか(もしかしたら、それが暴力のリアリティということなのかも知れないが)。
とにかく、でだしがいい。
〈これからオレの話をしようと思う。
オレの青春、それはアグネス・ラムのボインがでんぐり返り、
目ん玉の裏側で核実験をやられているような痛みから始まったのだ……。〉
これは物語がはじまる第一章の前に置かれている一節。ある日突然に激しく痛いチョーパン(頭突き)を喰らわされ、そこから自分の不良時代がはじまったことを表現しているのだが、痛さを伝えるなかに時代感もきちんと盛り込まれ、まるで現代詩のように修辞がきまっている。
そして、つづく第一章では、その詳細、つまり塾通いする中二のダサい準優等生の主人公が不良デビューしたきっかけとなるケンカの顛末が書いてある。 楯突く奴を校舎の3階の窓から蹴り落とすくらい凶暴な幼馴染みとの、たぶん1分にも満たない血しぶき舞うチョーパン合戦。
それが立川という荒んだ街の風景とともにある少年の鬱屈や友情、恋心を絡ませながら情緒あるいはユーモアたっぷりに描かれている。わずか7頁という短いなかに、人生が180度転換する様子を、これほどのスピード感と密度、さらにはゆたかな情感をもって表現される例をあまり知らない。しかも、不良になることが転落ではなく、解放もしくは昇華として位置づけられており、そこがなんとも小気味よい。読む側は、不良となった主人公板谷に一発で感情移入でき、そのまま約500頁のボリュームの完読へと突入できる態勢となる。
その後のストーリーは、ケンカを核としながら、主人公が加わる弱小不良グループの成り上がっていく様を中心に展開していく。次々と強敵が現れたり、恋のかけひきもあったりして、話の設定そのものは抜群に面白い。どんどん読み進められる。ただ、惜しむらくは、表現のほうがだんだんとダレていくように感じられたことだ。章を重ねるに従って第一章にあった緊張感が薄れていく印象。作者、たぶん長丁場で疲れたのであろう、あるいは編集者に締め切りをせっつかれでもしたのであろう、終盤になると、ケンカシーンを漫画のような擬音の多用で描いたり、無意味な台詞を並べるケースが目立つようになる。
最後を飾る重要な決闘シーンに至っては、「もったいないなあ」という言葉が思わず口をつくほど、漫画チックな軽い描写で終わってしまう。けっして漫画が悪いというわけではないが、ここは第一章のような小説チックな表現で勝負してほしかったところだ。
まあ、とはいえ、それでも厭きることなく読了でき、ある高いレベルの満足を得られたのは事実。これは、ひとえに竜頭のパワーがあまりに強烈だったからだろう。その力が最後まで読む者の心を鷲掴んで、離さない。そもそもケンカの極意は、最初の強烈な一発を喰らわすことだというが、ケンカ慣れしているゲッツ板谷は、小説でそれをやったということかもしれない。うん、それはそれでありかも。負けを認めよう。