その刀を求めた夜、利休は、人を斬る夢を見たのであります。
と、それは、たった一度、人を斬った、四十年前の記憶と重なっていきます。
斬ったのは紀州の国境にある紀見峠に出た山賊の鳩鳥(におどり)という美貌の女頭目でした。そんな遠い記憶を思い醒ました数日後、利休は、その名刀を自分の意のままに拵(こし)らえ直そうと、刀剣商の本阿弥家を訪ねるのでありました。
その帰り道、白梅匂う北野天神の境内で、この女頭目と瓜二つのお怨という美女に、突然、親の敵と襲撃を受けることに。そして、それから…
さて、この物語でも、私を魅了してやまない、火坂作品特有の美意識(主人公の生きざまに、自分らしさへのこだわり、ここからは譲れないというプライドが必ずある)が色濃く出ています。例えば、利休のこんな台詞です。
「非の打ちどころなく整ったものは、じつは、まことの美しさをあらわしているとは言えぬ。まこと、人の心に染み入る美しさとは、必ずどこかに欠けたるところがあるものじゃ。形の整い過ぎたるものは美しからず。わしもまた、常々と築き上げてきた茶人としての名声を、みずからの手で打ち壊さねばならぬ」
といった…。
本書は、この他、来年のNHKの大河ドラマ『天地人』の主人公、直江兼続も登場してくる『羊羹合戦』。秀吉に認められ木曾代官として優れた手腕を発揮した石川備前守貞清の話『命、一千枚』。武士道としての釣り勝負『釣って候』。聡敏明神として福山の城下に祀られた水野六左衛門勝成の若き日『人斬り水野』。家康の隠密御用をつとめつづけた茶屋四郎次郎の話『隠密商人』。八幡船を操る倭寇(わこう)の頭とポルトガル船の船長の恋の鞘当を描いた『とっぽどん』の六作が収められています。
テーマは、武人の「義」と「勇」と「美」。どれも一本筋の通った男たちのこだわりやロマンに裏打ちされた、読み応えのある物語ばかりです。
さて、最後になりますが、何故、来年のNHK大河ドラマの原作に、火坂作品が選ばれたのか、私なりに考えてみました。それは、勝ち組、負け組、つまり富める者、貧しき者の二極化が進み、人の心が荒廃している今の時代だからこそ、「利」だけの追求に警鐘を鳴らし、人の成すべき道、つまり「義」をテーマにした火坂作品にスポットが当たったからだと思っています。
作者もこの辺を、天の時(時期)、地の利(地勢)、人の和(組織)、この三事が整った時に物事は動き出す。「天地人」が大河ドラマに決まったのも、この三事が整った結果だと思うと語っているということです。
このドラマの主人公・直江兼続は、妻夫木聡が演じることが正式発表されています。私も大好きで観ている、今年人気の「篤姫」の後の作品だけに、負けずに頑張って欲しいものです。そして、ドラマが始まる前に、レビューした短篇集3冊と共に、『天地人』上・下も、ぜひ、お読みいただければと思っています。