流血のテヘランから遙かな国アイルランドへ。それも、島の西部に位置するクリュー湾近く、遠い遠い小さな村バリナクロウに、イラン革命直前、マルジャーン、バハール、レイラーの美人三姉妹は国を捨ててたどり着いた。
マルジャーンは天才的な料理の才能を持つ長女。バハールはやや神経症的で心配性の看護士で、口は悪いが姉妹思い。三女のレイラーは、バラとシナモンの香りがするという美しい脚の15歳だ。
両親はすでに他界しており、力を合わせて生きてきた姉妹。彼女たちはバリナクロウで、ペルシャ料理の店「バビロン・カフェ」を開く。三姉妹が官能的な香辛料とおいしい料理を武器に、遠い異国で地元の人々に受け入れられ、根を張っていくまで。『柘榴のスープ』には、そんなささやかな幸福のかたちが描かれている。
料理が人の心をつなぐ、解きほぐすという小説は意外に多く、ざっと思いつくだけでも、ラウラ・エスキヴェル『赤い薔薇ソースの伝説』、イサク・ディーネセン『バベットの晩餐会』、ジョアン・ハリスの『ショコラ』、竹内真『カレーライフ』、小川糸『食堂かたつむり』等々。本書は、そんな中でも、いちばんエキゾティックなスパイスが効いた長編だろう。
「バビロン・カフェ」は、保守的な田舎の村に突如現れた異国の料理を供するレストラン。調理をするのもまた異国の女性たち。村人たちは気にならないはずはない。姉妹の世話を焼きたがる者、実際にドアをくぐりマルジャーンの料理に魅了される者、邪魔者扱いで遠巻きに眺める者……、反応はいろいろだ。
中でも、バリナクロウに何件もの店を持ち、地元で幅を利かせているトマス・マグワイアはのっけから妨害工作に出る。
トマスはもともと、マルジャーンたちが借りた元デルモニコの店をいつか自分のものにしようと狙っていたせいもあるけれど、それ以上に、黒髪の異国人を毛嫌いする確固たる理由がある。このあたりの事情や、マルジャーンたちの店が繁盛しないようにする邪魔だての様子は、大人げないというか器が小さいというか、憫笑するしかない。
全体的なトーンは、アメリカンコメディのような明るいユーモアに満ちているのだが、背景にはイラン社会の複雑な世相がある。物語は当然、一筋縄ではいかないのだ。
マルジャーンやバハールにはそれぞれ拭いがたいイランでの傷があり、バハールはいまなおつらい記憶を引きずっている。幼かったレイラーにも、その恐怖の体験は記憶されている。タイトルになっている「柘榴のスープ」をマルジャーンは長年封印しているのだが、その理由も重いものだ。
そうした過去が読み進むうちに次々わかってくる構成。途中からは、マルジャーンたちがこの地に溶け込めますように、幸せになれますように、とエールを送りながら読まずにはいられなくなった。
ちなみに、著者のメヘラーンの半生もこの三姉妹同様、波乱に満ちている。2歳のときにイラン革命が起こり、両親は子どもたちを連れてブエノスアイレスへ。カフェを営んでいたが、のちに行き詰まり、マイアミへ移住。さらに両親の離婚や自身の結婚などで、メヘラーンはオーストラリア、ニューヨーク、アイルランドとさまざまな場所に居を移している。常に異邦人であったことが、この小説を書く上で何かしらプラスに働いているかもしれない。
本書には、ドルメ(ブドウの葉を使った詰め物のオーブン料理)やゾウの耳(スパイス入りの揚げドーナツ風)など、しばしば聞き慣れない料理の名前が出てくる。だが、各章の扉の裏ページには詳しいレシピが載っており、どんな風味かくらいはイメージできるようになっている。
著者自身も料理好きで、料理を介して愛や安らぎを伝えられるのではないかと考えているようだ。そんな著者の気持ちが、スパイスの香りとともにいつも鼻先をくすぐるような読み心地が楽しい一冊だ。