日頃は、文庫本一冊に何編かの連作小説が収められていて、その主人公や脇役とすでに私が馴染んでいるといった時代小説を多く読んでいる。
しかしこの本は、一冊で一つの物語がじっくり、しっとり書き込まれていて、味わいが濃い。濃くても、もたれない。人情話、捕り物、チャンバラ風味、それぞれの味わいがしっかり生きている。江戸の長屋風景があり、大店の商人がいて、武家屋敷も、旅の風景もいい。
新人の作品だそうだ。もともと2004年の暮れに単行本で出た本の文庫化。これは、今年(2008年)の初めに出た文春文庫である。時代小説ファンならば見逃せない一冊だ。
この小説を読んだ「手練れの作家たち」が、口を揃えてか、「文字を揃えて」か、褒めちぎったとあとがきにある。一般読者である私も、褒めちぎるしかない小説だった。なにせ、うまい。面白い。
この作家のすごいところは「時間をゆっくり描ける文章の力」。それでいて、アクション場面では「大活劇部分を、危険きわまりなくしかも猛烈な速度で書ける巧みさ」も抜きん出ている。行間に年月も日月も挟めるし、一瞬の動きごとに行を変えることもできる、ということ。
話を紹介するとして、「こういう主人公がいて、こんな事件が起きて」と書いていいものかどうか。なかなか緻密に構成されているので、主人公が「越後に事件の背景を探りに行く」と書くだけでも、もう、読む人の楽しみを奪うことになりかねない。
といって、書かないわけにもいかないか。
旗本の三男坊・周乃介が、自分の甥・定次郎が殺されたことを知る。定次郎がどうして殺されたか、誰に殺されたか、を探り出す長い物語である。
テレビのドラマのように「偶然あることがわかったり、立ち聞きで秘密を知ったり」などということがない。怪しい奴を捕まえて、奉行所の者が拷問で吐かせるといったこともない。丹念に調べていくしかないのだ。そこに時間の経過をじっくり描ける力が要る。
殺された定次郎の友人知人を当たって、何をしていたかが少しずつわかってくる。定次郎はある事件の背景を探っていて、その探索の焦点が米問屋・柏木屋だということがわかる。この米問屋をざっと調べてみると、店が大きくなる途中で、柏木屋の都合のいい「死」がいくつもあることがわかる。柏木屋の秘密を握った者、また古くから商売をしていて柏木屋には邪魔になった者が「不意の死」に襲われ、そのたびに柏木屋の商売が大きくなっていたのである。
怪しい、怪しいけれど、まったく証拠がない。
直接手を下した様子もない。そこで、柏木屋の主人の過去を徹底的に探り、人間関係を調べることにする。丹念に足を運び、その中で柏木屋なる人間がどこから現れたかを探りに越後までの旅に出ることになる。
そこで柏木屋が「どう柏木屋になっていったのか」が多少は掴めるのだが、大店になった現在の柏木屋に関して、旗本の三男坊にはなかなか内側に入り込む算段が立たない。
その辺りの、淡々と調べを続ける日常。あるいは甥と関係のあった人々に話を聞きに行って、少しずつ事件の裏側に潜む企みを「定次郎が調べていただろう道筋」に沿って再構築している辺りが、読み応え満点。
主人公が捜査している中で、甥が、惚れた遊女を身請けするために大金を用意していたことを発見する。その金はどうやって作ったのか、その金のために殺されたのか? その遊女はどうなったのか? その女は別の男に身請けされて、川越にいるとわかる。
こうして、甥が惚れた女、どこから手に入れたかわからない大金、非常に怪しい大店の主人、どっちの味方かわからない複数の関係者、といったネタが上手に配置され、主人公の、旗本の三男坊としての日常も淡々と、しかし少し悲しみを秘めて過ぎていく。
読み手は、主人公と同じ視点で事件を追いかけることができるので、「ははぁ、そういうことか」と、わかっていく。
やがて、甥を殺した人間たちに「かなり近づいてしまったらしく」、主人公が襲われる。
と、ここまでにしておこう。
いい時代小説をたっぷり楽しみたい。荒唐無稽な剣法でバッタバッタと斬り殺すのでもなく、異常に勘が働く主人公でもなく、江戸の町の中にこういう人たちがいて日々が過ぎていったのだという気分が丁寧に描かれている。悲しみと少しの喜びが、読んだあと心地よく残る。
女流の時代小説華やかな昨今、文庫の時代小説コーナーが佐伯泰英に席捲されている今、腰を据えて読んで、大きな満足感を得られる時代小説としてこれを挙げておきます。