ミュンヘン、東京とそれぞれ書かれたユニフォームを着た二人の詩人が、誰もいない球場でキャッチボールをはじめる。投球には生活もかかっているらしく、けっこう真剣なのでついつい足をとめて眺めてしまう。ミュンヘンに住む詩人は変化球が得意なようだ。東京に住む詩人はそれに直球で投げ返す。直球は最初ストライクゾーンを大きくはずれるが、それは東京に住む詩人が目の治療中で、なかなか詩に集中できないからだ。かたやミュンヘンに住む詩人は勤めている会社をやめて、詩に専念しようかと考えている。二人の関心事がだんだん詩にしぼられていく。
最初にミュンヘンに住む四元康裕さんが、「無邪気さの終わり」という詩を東京の田口犬男さんに送る。この中の「鳩の群れを率いた男の子が横切ってゆく」という一行は、田口さんの「ハッシャ・バイ」という詩集の表紙の写真のことで、その写真はぼくの妻が、ニューヨークのリバーサイド・パークで撮ったものだ。田口さんはその二ヶ月後に、四元さんに「デュッセルドルフでバーボン」という詩を送り返している。そうやってぎしぎしと音をたてながら、詩の観覧車が回りはじめる。
二人は正反対の性格の詩人のようだけど、谷川俊太郎さんの詩を読んで育ったという共通点もある。それは二人の詩人がことば遊びを大切にしていることからもよくわかる。「連詩」のように何人かの人とかけあいで詩を書くことや、詩を人前で朗読することで、谷川さんは詩を日の当たる場所に引っ張り出した。もはや詩は暗いところでめそめそする必要がなくなった。冒険をするチャンスを与えられた。
「連詩」は何人かの人でやることが多いようだが、「対詩」は二人だけでやる。それだけお互いの影響を受けやすい。長い時間をかけて詩をやりとりするあいだに、二人の性格が入れ替わっていた、なんていうこともあるようだ。最初は向かい合っていた二人が、いつのまにか背中合わせになっている。そうやってそれぞれの方向に向かって歩き出すところで、この「泥の暦」という詩集は終わっている。それまでに3年かかっていて、二人のあいだでやりとりされた詩は全部で26編になった。詩を読めば、対詩という枠組みの中で、詩人がミュージシャンのように乗ってくるのがわかるだろう。そのうえ詩に添付された手紙で、その時々の作者の日常が少しだけわかるところがいい。付録のリーフレットの対談では二人の人柄がよくわかる。手紙や対談によって、対詩のライブ感がより増してくる。
「詩っていったい何なのだろう/僕には詩と散文の違いが分からない」、26番目の「果てしない荒野」という詩で田口さんはこう書いている。いくつもの道をたどった詩集は、詩人がコンピューターのディスプレーの前で夢中でキーを叩き始めるところでしめくくられる。詩人は詩人であり続けるために、永遠に詩を書き続けるのかもしれない。