「適当」は悪者扱いされることが多い。「適当なことを言いやがって!」とか、「そんな適当な考えでいいのか!」とか、「お前のやることはいつも適当だ!」とか。そもそも「ぴったり」というとてもいい意味のはずなのに、「中途半端でダメ」というニュアンスで用いられる。「いい加減」とともに、もっとも不当な扱いを受けている日本語の一つと言ってもいいだろう。
そんな日蔭者の「適当」の復権を求めるべく、ひと肌脱いで立ちあがる……な~んて難しいことはおそらくまったく考えずに、ただただ適当に、おもしろそうだからという理由で表紙ではパンツ一丁にまでなってしまっているのが、この本の作者である高田純次さんである。
この本はもともと河出書房新社から出された単行本『人生教典』を加筆・改題した文庫版だが、タイトルは『適当教典』のほうがずっといい。内容がまさに「適当」だからだ。読者からの質問に高田純次さんが答えるという、いわゆる「人生相談」の形式を取っている。下は3歳から上は75歳までの老若男女から寄せられる質問は、もちろん筆者がまさに「適当」にでっちあげたものだろうが、最後の最後になってもそんな「お断り」を一切入れないあたりにも「適当」が貫かれている。
質問も適当につくられたものだが、回答はそれに輪をかけて適当である。たとえば「今、銀行も危ないみたいだし、一千万円を”金”にでも換えようかと思っています。”金”っていいですか?」という35歳のサラリーマンの質問に対しては、いきなり「今、”金”に換えなければ、もう換えるときはないね」。「同じ部署にメチャメチャできる後輩が入ってきちゃいきました。(中略)ここで生き残る方法を教えてください」には、「駅の階段で後輩を突き落とすしかないね! こういう場合はしょうがないよなぁ」。……で、そのあとにこれでもかこれでもかという感じで、適当な理屈が積み上げられていく。
高田純次さんというと、テレビでも適当さ、いい加減さ、無責任さが売りになっているが、この本ではさらに凄味が出てくる。というかテレビの場合、その「適当キャラ」ゆえに他の出演者とのテンポを合わないことが見られるが、本という「独演会」の場を得て、自由気ままに「適当」を楽しんでいる。「適当」を芸術の域まで高めた男、高田純次。「適当」を道にまで究めた男、高田純次。いや、書名の通り「教典」にまでしてしまった男、高田純次である。で、ここまで適当な回答をされると、やっぱり笑っちゃうしかないんだよなあ。
実用的な回答など一切ない。でも、呆れてゲラゲラ笑いながら読み進めるうちに、「なーんだ、あまりまじめ過ぎるのも息が詰まって考えもの。人生なんて、ほどほどで、適当でいいときもあるんじゃないの~」と、気持ちが楽になる。ということで、この本は(場合によって)最高の人生相談本と言える。「ちょっとつらいな」っていうときに、ぜひ。「ちょっと今、キツそうだな」という友人に、ぜひ。あと、拙著『日本語でどづぞ』と『困った地球人』と一緒に、ぜひ。……あっ、適当が伝染してしまった。
それから、高田純次さんの本なので、当然のことながら「下ネタ」「セクハラ」なども、お見事なほどに全面解禁されている。道徳的なことがお好きな方は、わざわざこの本を読んで目くじらを立てるのではなく、ササッと受け流していただきたい。……そう、「適当」に!