物語のはじまりではただ語り手の声だけがある。語り手は、粉雪の舞う、暗く寒々しいモスクワを歩いている。聖堂のプーシキン像の胸に「革命一周年万歳」と書かれた赤いエプロンがさがっている。修道院の前の広場で演説をしている、「プロレタリアート」とか「テロル」とかそんな言葉を誰かが(機関銃のような巻き舌で)しゃべっていて。かれは逮捕される予感がして、嫌な感じなんだ、いま歩いているこの並木通りこそが、まさしく闇の世界への入り口なのかもしれない。
やがてかれのまえにおさななじみのフォン・エルネンが現われ、こいつがまたむかしは退廃詩を書き、人前でコカインをやったりしきりに社会民主主義系サークルとのつながりをほのめかし、聖三位一体をしゃべり散らしていたヘボ詩人だったくせに、いまやもっともらしく軍服を着こなす悪魔の手先になっている、よくいる転向者だ。しかし、ま、それでもいちおうおさななじみだ。だんだんうちとけて、やがてかれは自分自身の境遇をうちあける、自分が書いた詩のなかに、「装甲車、卒倒した」と韻を踏んだ箇所があって、その韻が、「かれら」を怒らせ、それでもって自分は追われ、逃亡している。信じられないだろ、でも、ほんとなんだ。しかし実はフォン・エルネンこそがかれをつかまえるための追っ手だった。さぁ、大変。ドストエフスキーの『罪と罰』さながらの活劇の末、かれは逆にフォン・エルネンを殺す。
その後ふたりの男が現われ、「おまえがベニア板か」と訊ねる。むろんエルネンを訪ねて来たのだと推定されるのだが、かれは(自分が殺したエルネン)になりすますことにする。なお、このタイミングで、実は語り手がピョートルであったことが判明する。そしてピョートルは「ベニア板」の愛称で呼ばれながら、かれらと行動をともにすることにする。かれは(文学仲間たちで退廃した空気をかもしだす)文学キャバレー「オルゴールつき煙草入れ」で、「ベニア板として」詩を朗読し、詩に合わせて、景気づけに天井へ向けてピストルをぶっ放し、場内を大混乱に陥れる。
だが、一章が終り二章がはじまると、実はそれらのすべてはピョートルの夢で、「現実の」かれは、現代のロシアの精神病院に収容されていて、入院患者がそれぞれの夢を語り合い共有するセラピーを受けているのだった。
その後もピョートルは、ふたつの世界の往還をつづける、前夜の文学キャバレーにいた黒い詰め襟服の男が現われ、赤軍の指揮官チャパーエフと名乗り、ピョートルを東方戦線へ向かう自らの騎兵師団の政治将校にスカウトしたいという。ピョートルは相手に不穏なものを感じつつも、参加を決心する。そしてピョートルは、赤軍将校チャパーエフにつき従い、白軍と戦う。