この本の『侠風(きゃんふう)むすめ』という書名の前に、国芳一門浮世絵草紙、という副題がついている。ま、それがあって歌川国芳の一門のあれこれが小説になっているのだなとは想像できる。
侠風は、いわゆる「おきゃん」だ。
今もまだ時代小説がブームといわれている。しかし、私はもう潮が引き始めているとみていて、ゆっくり主人公たちに別れを告げているところ。連作小説を読み続けている中で、もうこの主人公とはつき合わなくてもいいな、と判断した小説は新作が出ても買わないようになってしまった。そういうことである。奉行、与力、同心、髪結い、木戸番、剣豪、宿の主人、歌舞伎の台本書き、追われる医者、吉原の用心棒などなど、時代小説をにぎわしている主人公たち。
シリーズの初めの2冊ぐらいはなかなかしっかり書かれているのだが、売れだしてしまうと決まって、なのか、少し人気が出ると次々に新作を出さないといけないためなのか、シリーズの4冊目あたりからガックリ雑な内容、雑な描き方になる最近の時代小説。昨今の流行り言葉を口にする時代小説の主人公には、つき合いきれない。
読む方は、勝手な言い方ができるのでナマイキなことを書くけれど、「もういいや」という主人公がいくらもいるのだ。そういうことがあるので、シリーズ物の時代小説を読み始めるときの選択が厳しくなっている。
その私に、馴染みの書店の若旦那が、読んでみてくれと勧めてきたのが、この本だった。
時代小説の表紙が、同じような絵を描くイラストレーターの物ばかりになってうんざりしていた私は、この本の表紙を目にしてちょっと面白いとは思っていた。そう、国芳の絵なのだ。
この本の中の国芳は既に人気浮世絵師になっていて、家に弟子がぞろぞろいる。通いもいるし、居候もいるが皆であちこちからの浮世絵の注文を裁いているといった具合。そしてこの小説の語り手である国芳の娘が、この連中の自堕落な行状と、自分の成長の苦しみ喜びを聞かせてくれるのだ。
有名浮世絵師の娘はけっこう絵の才能があって十分通用するのだが、女の浮世絵師はうけなかったとしている。父であり師匠である国芳は、だらしのないぞろっぺぇな男で家にいるより吉原で酒を飲んでいるのが好き。この師匠のもとに集まった者達もまた絵は好きでそれなりに上達もしていくが師匠について吉原で騒ぐのが好きという「憂き」世の日常が語られる。
娘が少女から女になっていく途中のあれこれ、惚れた男にふられたり、ヤケで危ないことをしたりもする。幼友達が、芸者になるの座敷に出るのといい、成長していく姿を見せられる。そして、天保の改革で浮世絵師や戯作者たちが罰を受けたり、仕事を続けられなくなったりもする。
国芳が描いた絵が売れに売れて話題になり、その絵は暗に幕府を批判したものだと騒がれ始める。幕府の政策に批判的な内容を含んだ絵や戯作の作者たちが捕まる中、いよいよ国芳にも奉行所に呼ばれる日が来てしまう。本人にそんな気はないのだが、できあがった絵を深読みし世間は国芳を持ち上げてしまう。
娘は心配でしょうがない、というわけだ。
史実を背景にして、登場人物も実在した人を配し、その日常をフィクションに仕立てる時代小説、こういうスタイルを、私は「嵌め物」と読んでいる。この小説がちょうどそれで、実在した人気浮世絵師の作品と天保の改革を絡め、それをおきゃんな娘に語らせる。
連日吉原で酒を飲んでいたという絵描きだったかどうか知らないが、小説の語り口がなんともうまいし、娘心と、ぞろぺぇだが実は娘思いの父親もいい。それと、この浮世絵師親娘に、遠山金四郎という知り合いがいて、ちょっといい役を見せてくれる。まぁ、時代小説のお楽しみをきっちり盛り込んで喜ばしてくれる腕もなかなかといった小説である。史実とフィクションの境目が上手に溶け合っているといえばいいのだろう。
章の扉に、国芳の絵が使われていてこれも楽しみ。その章の話題にかかわる絵なので、章を読み終えてから、ハハァという気分で見直すことも再々、お楽しみの多い本である。
刀を抜きあって斬り合う場面があるわけではないし、複雑な事件を八丁堀が解決するというわけでもないが、ステキな時代小説だと思う。江戸の街の日常が気持ちよく眺められる一冊だった。
この小説には既に続編があって、それは『国芳一門浮世絵草紙2 あだ惚れ』、同じ小学館文庫から出ている。こちらも、おすすめ。