近頃、「家族」ということに一方ならぬ思いがあったので、この「家族力」というタイトルには、私の思いをしばし釘付けにする「力」がありました。
さっそく購入し、裏表紙の宣伝文句を読んでみますと、
「両親。兄弟姉妹。連れ合いと、その身内。そしてわが子。これらのひとが、難局に際して力を分散させず、ひとつに結集すれば…」
三度の結婚、二億円の負債、作家を夢見ての貧乏暮らしを支えてくれたのは、いつも「家族」だった。人気時代小説家が語る告白的家族論。人と人のつながり、あたたかさが感じられるエッセイ集。とありました。
さて、その中で、まず、とても印象に残ったのは、これは山本一力個人の極めて狭義な「家族観」であると承知おきいただきたいと断り、こんな風に書いてある箇所でした。
「恩は着せるものではなく着るものだ」
故池波正太郎氏が、氏の作品を通じて何度も記された至言である。このわきまえを、親は子育てを通じてこどもに植え付けた。
育てられた恩。
無償の情愛を注がれつづけた恩。
見返りを求めない貴き行為への尊敬。(中略)
「うちの親は頑固だから」
こどもは陰で親の一徹さをこぼしたりする。その言葉の奥底には、尊敬と情愛の念とが含まれていた。
が、続けてこうも。
バブルを体験してそのわきまえが失せた。
変わった要因のひとつは、親が変質した姿をこどもに見せたからだろう。
「先代から受け継いだ大事な土地だから」
こう言い続けていた親が、高値で売却することを本気で考えてしまった。
(中略)高値を待つだけで、汗も流さずにである。
(中略)こどもたちは、親が成したそれらを見てきた。そして行為には対価、見返りがつきものであると思い込むようになった。
こうした氏の、親や家族、世間に対する感じ方、思い。これが、江戸の世にタイムシフトして、田沼バブルがはじけた後の寛政の改革期における棄捐(きえん)令を背景にした直木賞受賞作「あかね空」に色濃く生きているのを、私は、この件(くだり)を読んで、心底納得したのでありました。
又、このエッセイには、「私のプロジェクト直木賞」という項があるのですが、不惑というから40歳を過ぎて、氏が小説を書こうと思いたったという事実を知り、ちょっと感動に近いものを覚えました。そして、こんなエピソードに、思わずほほ笑み、ウルウルもしました。
「芥川賞を狙うならウォーターマン、直木賞はモンブラン」店員は軽口をききながら、二本をショーケースから取り出した。
いずれも軸が適度に太く、ペン先も太字で好みのタイプである。何度か試し書きをしたが、甲乙つけがたい。
「直木賞の方がいい」
散々に迷った挙句、不惑を迎えた男が店員の口上に調子を合わせモンブランを購入した。当時は小説とは無縁だったがゆえに、平気でこんな軽口が叩けたのだ。強引なこじつけを承知でいえば、直木賞とわたしとのかかわりは、ここから始まった。
と、それこそ軽口ではじまり、その後、事業に失敗し、二億円の負債を抱えるという重い話に。そして、崖っぷちで行き着いたのが、なんと作家で身を立てようという決意。それから直木賞までの貧乏暮らし。歓喜の直木賞受賞と続くのですが、氏が一か八かの作家生活を決意した時、奥さんが言った言葉、これに私は思わず泣かされてしまいました。
おまえ、正気か。
短編ひとつ書き上げたことのない男の、わるあがきのような話である。
怒鳴られ、殴り倒されてあたりまえだろう。
ところが家内は信じてくれた。
「あなたなら絶対にできるから。ベストセラーを書いて借金を返しましょう」
まるで新派の芝居のような話ではありませんか。それも安手の戯作の…。
でも、それが実話だから恐れ入ります。すると、何故か、歌謡曲好きの私は、小林旭の「落日」という川内広範作詞の歌に思いを馳せていたのです。
《うらぶれこの身に吹く風悲し 金もなくした恋もなくした 明日の行方がわからないから ままよ死のうと思ったまでよ》と、はじまり、次は、《生まれた時からこの世の辛さ 知っているよで何も知らずに落ちてはじめて痛さを知って 恋にすがってまた傷ついた》と続く。
そして、三番で《それでもこの身をつつんでくれる 赤い夕日に胸をあたためどうせ死ぬなら死ぬ気で生きて 生きてみせると自分に言った》となるのです。
「男は、親父は、家族を信じて、自分を信じて、本気で生きてみせなければならない」。私は、この歌を脳裏でBGMにしながら、現代人が忘れかけているこうした思いを、この著作を通じて、男として、家長として、改めて強く意識したのでありました。
「家族力」、氏の上質な市井もの時代小説と併せ、ぜひ、ご一読ください。
生きるための示唆に富み、人情味もいっぱいです。さすがは山本一力、為にはなるが、肩の凝らない一冊です。