柴田宵曲についての人物紹介は、『団扇の画』にあります。深い知識を持ち中国や日本の古典に通じていて、いとも簡単に「これについてはこんな話があってね」とあらゆるところから自在に引っぱり出してくる人。
この人の紹介の一文に「世に出ようなどという思いを一切抱かず」静謐の中に生きつつ文章を書き続けた人だという内容があった。んん、すごい。しかし、この人ほど持っている知識を自在に扱えれば、どうしたって周囲の人が放っておかないという気がする。それは読んでみればすぐにわかる。
この本については裏カバーの文章を一部引用して紹介。
『甲子夜話』『耳嚢』など、江戸時代の随筆から不思議な話を蒐集・分類した怪異大百科。(中略)ある時は『今昔物語』の昔へ遡り、あるいは明治へと下って綺堂や八雲、鏡花の作品の典拠を指摘する。
『甲子夜話・かっしやわ』、『耳嚢・みみぶくろ』、『今昔物語』。この三つ、江戸好きで怪異な話が好きな私は持っているし、読んでもいるけれど、柴田宵曲のように自在にあそこにあったこの話と、引っぱり出すことなどできるものではない。
三冊ではなく、三つと書いたのは、『甲子夜話』は、平凡社の東洋文庫で確か20巻以上あるはずだし、『耳嚢』も複数巻のはず、『今昔物語』は文庫で何冊かになっているはずで、とても三冊とはいいにくいから。
『今昔物語』は古典だから常識的に読んでいるとして、『甲子夜話』、『耳嚢』の二冊は江戸の話題好きとしては欠かせないもの。たぶん、ほとんどの時代小説家が読んでいると思う。小説の筋のヒントにしないまでも、登場人物の日常の話題などを拾って来るには最適の本だ。
ただし、一般的には、読書好きでも「甲子夜話」は読んでいないかも知れない。江戸時代の中期、平戸藩の藩主だった松浦静山(まつらせいざん・引退してからの名前だけれど)は江戸暮らしが気に入り、江戸のあれこれを楽しみながら日々を過ごしていこうと決めて、早々と隠居してしまう。息子に藩主を押し付けたわけだ、簡単にいうと。それでも、なかなかの人物だったようで時折江戸城に登城している。そういう日々の中で聞いた面白おかしい話を丹念に日記に書きつづった、それが「甲子夜話」である。20年以上書き続けたはず。
江戸城に行くと、同じ部屋に詰める別の藩の藩主から「うちの藩では、こんな話がありましてね」という具合に話を聞くことがあり、家にいれば、下の者たちが江戸の街の噂だの流行だのを教えてくれる。それをひたすら書いた。
「耳嚢」は、町奉行になって、本当に名奉行として知られた根岸鎮衛が、巷の奇怪話を集めたもので、1000話も集めてある。
以上の本を含めた多くの古典から、奇怪な話、妖しい話、異形の物の話などを自在に持ってきては、サラサラと語ってくれる本がこの「妖異博物館」だ。
この文庫本の底本になった本は、昭和38年(1963)の出版。この文庫は2005年8月第一刷、私が読んだのは2007年、去年の後半である。
世に出てから44年を経て読んで、全く古びた感じがしないのは、文章の筋目がきっちりしているからだろうし、流行り言葉だの、その時代のくすぐりだの、すぐに古びるような世相のあれこれを混ぜ込んでいないということだろう。
例えば。「天狗の姿」という章
天狗の話は沢山あるが、明らかにその姿を見たものは存外少い。山中で出会ったり、誘拐されたしりた話を見ても、大体は山伏姿である。
こういう風に話に入っていって
「甲子夜話」にあるのは深山幽谷でも何でもない、江戸は根岸の話である。という風にして、「甲子夜話」にある話を読ませてくれる。
また、天狗が子供を誘拐するという話がしばしば出てくるが
「甲子夜話」に記されているのは、東上総の農夫の子で、後に松浦邸内の下男になったものの話である
といった具合。もちろん、先にあげた三種の本だけでなく、こんな本があるんだなぁと思うような書籍の名を挙げては、その中からテーマにしている妖異「河童だの怪火、大猫、うわばみ、蜘蛛」などなどについての話題を持ってくる。その一つ一つが面白くて読むのを止められなくなってしまう。
本のカバーにある八雲はもちろん小泉八雲で、それに泉鏡花、岡本綺堂、彼らが小説に仕立てた妖しいものたちの話を読んでいる柴田は、八雲の「この話の素は、たぶんこれだろう」と作品と江戸の怪異譚を並べて見せたり、その江戸の怪異譚自体が、中国の古典のこれこれの翻訳だと思うと言いながら、あちらの本を例にしてみせることもある。八雲や鏡花が昔の怪異譚を引用していると悪くいうのではなく、自分で見つけた昔の奇異な話をヒントにして、こんな風に小説に仕立てていると誉めている。どうも同じ話を下敷きにしているように見えても、小説に仕立てれば八雲と鏡花は違うものにしてしまう、など、その辺りの話も楽しい。
話そのものも面白いが、日本にはこんなに多くの妖異がいたんだと感心してしまった。
それと、昔の日本人はそういうものがいることを前提にしてた趣もあって楽しい。科学的に説明しきれないものの面白さを満喫するには見逃せない一冊とお奨めしておきたい。
これには、続編があるが、私はお奨めしない。この一冊で十分。