昭和三〇年代前半。小学生のころの愛読雑誌は『おもしろブック』だった。目当ては山川惣治の絵物語「少年王者」。ほかの少年雑誌は「鉄腕アトム」の『少年』、「砂漠の魔王」の『冒険王』、『少年画報』には「赤胴鈴之助」が連載されていた。僕は『おもしろブック』を友達に貸して、ほかは借りるという、いわゆるまわし読みをした。
当時、散髪屋にもたくさんの雑誌がおいてあった。なかには一〇歳ほど年上が読む『譚海』や、戦前の『少年倶楽部』があった。これらを読むと、同じガキ仲間からちょいと背が伸びたような気分になったものだ。
順番待ちの退屈しのぎ用の、これらの雑誌の巻頭には物語性を帯びたカラーの口絵が載っていた。密林に棲む未知の動物、探検や冒険物語の名場面が精密なタッチで描かれていて、未知の世界への扉でもあった。
口絵画家の双壁は、樺島勝一、鈴木御水。両巨頭が描くのは、アフリカ密林の人食い獅子、大蛇、大犀の襲撃、巨象、ボルネオの猛獣、マレー半島の密林など。
手に汗を握る危険な世界。この、少年があこがれた夢の世界に、実際に足を踏み入れていた男がいた。
蜂須賀正氏。阿波蜂須賀家一六代当主に生まれ、伯爵、貴族院議員、国際的鳥類学者としてアフリカ、フィリッピン、中南米に探検旅行を重ねた、まさに本物である。
ケンブリッジ大学在学中の二〇歳でサハラ砂漠横断、二年後アイスランドで鳥類調査探検を行った。フィリッピンのミンダナオ島南部、人類未踏のアポ山登頂に成功したのが二五歳。一九四三年に刊行された『南の探検』に、このときの探検が詳細につづられている。それから六〇年後、幻となっていた『南の探検』が平凡社ライブラリーから新装で再版された。
フィリッピン諸島探検計画の発端は、欧州随一の財閥のロスチャイルド男爵を訪問したときに、男爵に薦められたからだ。何と、あのロスチャイルドである。しかし、地図のうえに胡椒をまき散らしたような、太平洋の名も知らぬ島々の探検で、学会未知の動物が発見できるだろうし、ダーウィンやウォーレルにも勝る生物の真理が発見できるのでは、と野心を燃やしていた。
蜂須賀は自然科学標本の採集を、探検の最終目標にした。現実的に考えると探検には金がかかる。けれども蜂須賀のからは予算の心配が嗅ぎとれない。序章に「内燃機関の発達した今日」とあるが、それは汽船のことだ。マニラまでの足は、アメリカ船籍のプレジデント・ウィルソン号。時はまさにアメリカの禁酒法時代だが、蜂須賀は船長に正月祝いのシャンパンを用意させる。寄港先では豪華ホテルに滞在。自家用の飛行機をもち、探検の余暇の小旅行では列車に乗らず、クライスラーを仕立てる。貴族趣味を彷彿とさせるが、まったく外連(けれん)がないのは、ひとえに人柄が文章に反映されているからだろう。
蜂須賀は自分の風貌をこう描写している。…私は日本の多くの旅行者のように写真機をぶらさげることをしない。英語の発音も日本式のアクセントを多く持っておらぬ。しかし、もっとも重きを置かれるのは、この顔の形であろう。が、人は見かけによらぬもので、こういう奴ほどとかく肚の中に大和魂がしこたま入っているのである…。ケンブリッジ出の伯爵が「しこたま」である。こういう筆使いが随所にみられ。実に小気味がいい。
『南の探検』の原著はバラワン小孔雀の絵を意匠にした、なかなか素敵な装丁だ。新装版には蜂須賀の膝からうえの写真が使われている。アゴが細くやや秀でた額。品のあるなかなかの男っぷり。撫で肩で、探検家のたくましさに欠けるが、左肩から弾帯を袈裟にかけ、スコープを装着したボルトアクションのライフルを持っている姿は凛としている。右足を少し前に出すポーズは、礼儀ただしくも堅苦しくない。要は、撮られ慣れしている。
探検の装備を一覧してみよう。内張りがブリキ張りの標本運搬用の箱。ま、茶箱だね、これが一二、三箱。ライフル、二連の散弾銃、五千発の弾丸。一万尺の山を登るので厚地のシャツ。それも真冬のアラスカ用のもの。毛布一人四枚、蚊帳、…etc。携帯品は、ロウソク、アセチレンガス、ピストル。タオルとマッチは原住民と物々交換するため。蜂須賀は荷物を縛るのに銅線を使った。これは用済になった銅線の針金を、原住民の女用にするためだ。ミンダナオにはマホメット教徒が多く、女たちは銅で腕輪や足輪の銅細工を作る。このあたり伯爵といえども、旅の辛酸をなめているのか抜け目がない。
とまれ、準備万端。「暑くて焼け死んでしまうか、そうでなければ雨が降って溺れてしまう」という、フィリッピンの奥地に蜂須賀は分け入る。そこではミイラの洞窟、猿喰鷲、猛毒のキングコブラ、巨大な樹木。吸血のヤマビルなど得体の知れないモロモロが待ちうけている。
四八一ページ。分厚い『南の探検』の表紙をめくると、少年のころ口絵にときめいた、あの懐かしい熱いおもいが、還暦をすぎたいま、さめざめとよみがえってくる。
ああ、またぞろ胸かきむしるや、南の探検…である。