三代目三木助。
「『味噌蔵(みそぐら)』『崇徳院(すとくいん)』『へっつい幽霊(ゆうれい)』『化(ば)け物使(ものつか)い』等々、三木助独特の世界がある。くどいようだが、それは粋でいなせで、他の追随を許さない。で、この粋さが粋すぎてしまう、中途半端になってしまうように感じた芸があった。 それは三木助ファンには“堪(たま)らない”ものであるし、“それこそ三木助”なのであろう」
「一口にいって、“受け身の芸”といってもいい」
十代目馬生。
「いい噺家だった。きれいで、判(わか)りやすくて、愛嬌(あいきょう)があって、ギャグもほどほど。押しつけもなく、そして一席終わったあとに、立ち上がって踊る。馬生師匠は確か、日本舞踊の名取(なとり)だったはずだ」
挙げていくときりがない。昭和の落語家たちの芸を談志がどんな風に批評するか、彼らの人となりをどんな風に描くかが楽しみで、ページをめくる手が止まらない。
「下手くそ」などとばっさり斬っていながら、そのあとで必ず細やかなフォロー入れるところが心憎いし、対象によって文体を変幻自在に替えているところなどはただただ舌を巻くばかり。
「何を語ろう、いまさら文楽師匠を、黒門町を」などという一文は談志でありながら黒門町の高っ調子な語り口すら思わせる。
黒門町が付き合っていた彼女を鶴本の志ん生にまんまと横取りされてしまった逸話を描く談志の文章がまたいい。
洒脱で簡潔で、文章の間が絶妙なのだ。
「楽屋にいた鶴本が“おい、ちょいと話があるんだが、玉ひでに行こう”とな。
『玉(たま)ひで』はいまもある。親子丼(おやこどん)を売り物にして繁盛している。と、玉ひでに行くと、その女が来てる、ネ。
で、グツグツグツグツと鍋(なべ)は煮えている。何ともいえない妙な空間ができてた。したらネ、鶴本の志ん生が一言、文楽に向かってズバッと言った。
『早い話が、ここに俺が七両(りょう)二分(ぶ)だそう』」
名人芸だ。
そんな達人の文章から透けて見えてくるのは、まだ二つ目だった若き日の談志、談志の青春だ。
先輩落語家たちの芸を寄席の高座の袖から食い入るように見つめていた生意気ざかりの談志の思い、落語への並はずれた情熱が円熟の文章を時に熱くする。それが本書に何ともいえない若やぎをもたらしている。読むものの心を浮き立たせる。
だが、あとがきのこの一文で浮ついた気分が吹っ飛んで“絶倒”してしまう。
「“落語とは何か”が解(わか)ったのは六十代だった」
おかげで、行間からにじみ出てくる談志の落語観を読み解くべく、本書を最初からじっくり読み直すことになる。落語のCDやDVDに手を伸ばすことになる。
落語に浸るには絶好の一冊だ。