歴史が国家の白書の堆積物と化してしまっている。自分の生まれた国がどのような国家構造を経て現在にいたったかを、政治、経済、つまり権力者と年号羅列だけの歴史が大半で、じつにつまらない。
ジョアナ・ストラットンは「パイオニア・ウーマン」の序論に次のように書いている。
「…歴史家は必然的に、記録を残したり、スピーチをしたり、本を残したり、要職に就いたり、戦闘に勝ったり負けたり、王位を取ったり取られたりした人たちだけにしか注意を払わない。歴史家はこの矛盾を感じないばかりか、多くの人間が永久に日陰に押しやられてしまっているやり方に満足しきっているのだ。」
こういう序文にはイチコロなので、文頭であのような御託をならべたというわけだ。
現在のカンザズ州がまだ准州だった1854年から1861年のあいだに、3回にわたって移民が行われた。当時のカンザズは、南北戦争に参戦するゲリラの襲撃、先住民の襲撃、無法者、馬泥棒、土地詐欺師の横行する劣悪な状況で、それにくわえ、熱風、早魃(かんばつ)、野火、豪雨、竜巻、大吹雪の天候や、イナゴの大群、ガラガラ蛇、オオカミなどの自然がもたらす動物も深刻なものだった。
移民には多数の女性がくわわっていた。ところが、彼女たちがどのような人たちだったのか、どこから来て、どのような生いたちだったのか、なぜ自分の故郷を捨てたのか、カンザズに何を求めたのかなど、現代までその女性たちの記録が歴史から忘れ去られていた。
著者のストラットンは、たびたび曽祖母の家をおとずれていた。その家の屋根裏部屋には先祖伝来のさまざまな物や、記念品などがぎっしり詰めこまれ、彼女にとって心をときめかすビックリ箱であった。
1975年の冬。ストラットンはいつものように屋根裏部屋ですごしていて、驚くべき書類を発見した。
そこには祖父母が1920年にはじめた、800人のカンザスの女性の回想記録が書き残されていて、開拓時代の政治的出来事や経済成長などの歴史ではなく、生きた女性たちだけがもち得た、開拓者の日常生活以外のなにものでもない、家族と友情が書かれていた。
アメリカの西部開拓、こう聞いただけでググッと膝を乗りだすほど好きなジャンルだ。けれども既存の開拓史は男中心の世界である。だからといって、この本を閉じることはない。目次をながめただけで心が躍る魅力的な文字がならんでいる。
まず、第一章。荒野のかなたには希望がある-旅立ち。これが堂々のはじまり。丸太小屋、芝生の家-開拓地での住居。エプロンと鋤(すき)-大草原での暮らし。勇気ある日々-荒野と戦う、暗黒の日々-自然と戦う、二つの文化の衝突-先住民、開拓者の楽しみ。などなど、一五章までつづく。
彼女たちは先住民風に焚火で食事をつくり、地面に広げた油布をテーブル代わりにした。夜は馬車の中や地面に寝るという生活。移動には幌馬車が欠かせなかったが、馬は危険と背中合わせの動物でもあった。
ある少女はふざけてボンネット(フリルのある帽子)で馬をちょっとたたき、こめかみを蹄で強く打たれてしまう。父親がかけつけたときには、少女はすでにこときれていた。
丸太小屋は、すきま風や土ぼこりが吹き込み、柳の枝と草の屋根は雨水がもり、土の床はドロドロになった。彼女たちはまた、チフスやコレラ、マラリア、肋膜炎、肺炎などから子供たちを守らなければならなかった。
ストラットンはパイオニア・ウーマンには、いくつかの共通点があるという。
平均的な教養があり、慎み深い中流の家庭の出で、より大きな成功を求めて旅をはじめたという。そしてほとんどがプロテスタントであり、神と未来への毅然とした信念を持っていた。妻として母として、家庭を軸に家事に専念し、家族の幸福に献身し、開拓地を文明化する夢を描いていた、というのである。
けれども、とストラットンは次のように釘をさす。
「…本の中の女性は、開拓時代を生き抜いた人たちだけに限られ、開拓地で失敗した人たち、つまり望みを捨て、東部に退却した何千という女性についてはなんら触れていない(中略)妊娠、出産、死亡など日常に密着した話題は、当時の婉曲な言葉でのみ書かれ、愛とかセックスについてはまったく避けてしまっている(中略)これらの話は実際に起こり、実際に経験したあと、何十年もたってから書かれた個人的追憶なのである。それは日記でも手紙でもなく、回想録なのだ。」
最後に、もっとも好きな一文を紹介しよう。
「カウボーイは牛が飲んでいるのと同じ池や水溜まり、時にはバッファローの泥地からやむをえず水を飲んでいたので、冷たい井戸の水を飲めることをとてもありがたがりました。彼らがいつもコップがわりに帽子やブーツを使ったり、腰を低くして馬のように飲んでいるのを見て、コップを用意してあげると、彼らはとても喜んで何度もお礼を言うのでした。」