え~、毎度、落語の方に出てまいりますのは、八っつあんに、熊さん、横丁のご隠居。人のいいのが甚兵衛さん、馬鹿で与太郎。そんな登場人物が相場となっておりますが…
「毎日、ぶらぶらしてるってえと、隠居さんも退屈するでしょ」
「ン、別に退屈はしないよ、あたしにも色々と道楽があるもの」
「へぇ、道楽があるかね、で、夜出掛けるかい?」
「そういう道楽じゃあない、和歌、俳諧だ」
「何ですね、その馬鹿、ハイカラって言うのは」
と、これは、落語「雑俳」のご隠居さんと、八っつあんの導入の部分。そうなんです、かくいう私、この「落語登場人物辞典」の著者と同様、いささか落語に覚えがあり、図々しくも人前で素人落語を演ずる一人なのであります。
出身は、日大芸術学部の落語研究会。一年後輩に放送作家の高田文夫・立川藤志楼師匠がおり、今でも仲の良い友だちで、私に落語の稽古を付けてくれる師匠でもあります。実を言いますとつい先日も、この藤志楼師匠命名の「喜楽家楽喜」の高座名で「還暦寝床の会」を催したばかり。お陰さまで、ケッコー、受けたりいたしました。
と、自画自賛の枕はこの位にして、いよいよ本題であります。この「落語登場人物辞典」、私のようにいささか落語にどっぷりの好きものばかりではなく、落語ビギナーにも打って付けの一冊。辞典というより、これは、著者も言っている通り「堅苦しくない読み物風」になっております。
第一、目次の中にこんな名前が出て来れば、もう、ワクワク、ドキドキ!さっそくですが「長屋の人々」の項で、まず目を引くのが「小言幸兵衛」。これは、もう、あまりにも有名ですが、では、「がちゃがちゃのお松」を、ご存知でしょうか?ご存知ないでしょ…。
そこで、さっそく引いてみますと、「とにかくよく喋る女性。相手が一言言うと十言も二十言も返すほどのおかみさん。(中略)そのあだ名は、いつも「がちゃがちゃがちゃがちゃ」うるさいところからのもの。登場作品「洒落小町」とありました。この辞典、その登場人物が出て来る外題もすぐ分かるという寸法。
しかも、「がりがり宗次」とか、「古狸の杢兵衛」とか、説明を読まなくてもその人物像が、即、浮かび上がって来そうな面々が、それは、それは、沢山登場しているのであります。
因みに、こんな人たちが、ぞろぞろ。
落語国の大大名「赤井御門守(あかいごもんのかみ)」―登場作品「火焔太鼓」、「妾馬」など。
やはり落語国の代表的な倹約家「赤螺屋吝兵衛(あかにしやけちべい)」―登場作品「片棒」、「味噌倉」など。
商売は担ぎの紙屑買い「正直清兵衛(しょうじきせいべい)」―登場作品「井戸の茶碗」。
侠客ならば「火の玉竜五郎(ひのたまりょうごろう)―登場作品「狸の化け寺」。「北風寒右衛門(きたかぜさむえもん)」、「石野地蔵(いしのじぞう)」、「山坂転太(やまさかころんだ)」といった、その他大勢の剣術の門弟たち。
この他にも「おかんこ婆」、「算段の平兵衛」、「飲み込み久太」、「らくだの馬」と、それは不思議な人たちだらけ。
読めば読むほど、この辞典、深みに嵌ってしまう、濃い人たちでいっぱい。そりゃあもう楽しいったらありゃしません。
もちろん、「隠居(いんきょ)」などの説明も気が利いていて、とても洒脱です。落語国一の知識人で、長屋の住人たちの知恵袋。たいてい、横丁に住んでおり、暇にまかせて尋ねてくる八っつあん、熊さんに色々なことを教える人物。頼りになる人だが、陰では「でこぼこ」「逆蛍」などの悪口を言われている。苗字はなぜか「岩田」が多い。
中には、人使いどころか化け物使いが荒い隠居や(「化け物使い」)、泥棒を自ら退治しようとする豪快な隠居(「やかん泥」)、吉原に女郎買いに行く艶っぽい隠居(「ぼうずの遊び」)などもいる。と、言い得て妙。こよなく落語が好きな著者の人となりを垣間見るようであります。
更に、「落語の豆知識」というおまけがあり、これが、又、とても役に立ちます。例えば、落語の種類を解説した項があり、「落語」は、「滑稽噺」(笑いを中心とした、原則として「オチ」のある噺)、「人情噺」(人々の人情の機微を描き出した噺で、原則として「オチ」のない噺)と大別して二つあり、噺の内容から分類すると、「長屋噺」、「商家噺」、「郭噺」、「粗忽噺」、「与太郎噺」、「お化け噺」、「武家噺」、「旅噺」、「破礼(バレ)噺」、「角力・芸人噺」、「酒飲み噺」、「芝居噺」などがあると、分かりやすく解説してくれています。
そう、そう、近頃は落語ブームで東京の定席はいつも満席だとか。それも夜席よりも、昼席が混んでいると聞きました。会社を定年退職して時間の出来た団塊組が昼席を堪能して、まだ宵の口から居酒屋の暖簾をくぐり一杯やっている図が頭に浮かんできます。
「えー、出来ますものは汁(つゆ)、柱、鱈(たら)、鮟鱇(あんこう)のようなもの、鰤(ぶり)にお芋に酢章魚(すだこ)でござい、ヘーイ」
という小僧さんの口上を聞いて、「のようなもの」を一人前くれという酔っ払い。三代目三遊亭金馬の十八番「居酒屋」が聞こえて来るようです。
このように落語国には、本当に個性的で素敵な住人が、ぞろぞろいます。ぜひ、この「落語登場人物辞典」を開き、気軽に会いに行ってみてください。そして、「ぞろぞろ」といえば、そういう外題の落語もあるのです。ご存知でない御仁は、さっそく調べてみるのも一興かと存じます。では、では、お後がよろしいようで。