―― 『チャパーエフと空虚』も現実感が揺らぐ小説です。例えば、はしがきに〈一九二〇年代前半に内モンゴルのある僧院で書かれた〉とあって、その時代の物語と思いきや、アーノルド・シュワルツェネッガーが出てくる。
尾山 本が出たとき、シュワルツェネッガーで挫折した読者が続出したんですよね(笑)。『宇宙飛行士オモン・ラー』の輪廻テストみたいな、悪夢的なパートが早くも第2章にある。だからすんなり読めないかもしれないんですけど、そこを乗りきっていただければ、小説10冊読んだくらいのおもしろさがあると思います。哲学的な会話とか、世界の現実性をひっくり返しているところとか、陰気な話なのにどういうわけか読んでいると楽しいところとか、ペレーヴィンのすべてがつまっている作品です。
―― シュワルツェネッガーのところも、あのシュワちゃんが××するというオチで、読んだときは笑っちゃいましたけどね。翻訳し始めたのは?
尾山 日本に帰ってからです。卒論の担当教官だった水野忠夫先生が「それだけ調べたんだったら、訳してみれば」とおっしゃってくれて。さらっとおっしゃるので、「え、できるんだ!」と思ってしまいました。
―― 水野さんはロシア・アヴァンギャルド研究の第一人者で、ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』や『悪魔物語・運命の卵』も訳されている方ですね。
尾山 そうなんです。一昨年に亡くなられましたが、いつもピースをばかばか喫っていて、「ザ・文学者」というようなかっこいい先生でした。
就職活動も、水野先生に説得されて始めたんです。僕には勤労意欲みたいなものがまったくなくて(笑)。何もしてなかったら、先生が、新卒で就職できる機会は一生に一度しかないんだぞと。会社に入って嫌だったら別に辞めたっていいんだし、体験してみてもいいだろうといわれて、それもそうかもしれないと。露文の学生なんて、需要は全然なかったんですけど。
―― よく出版社に就職できましたね。
尾山 連戦連敗だったんですけど、最後に受けた会社の加瀬(昌男)さんという社長が、昔、新潟で材木商のロシア語通訳をしていたとかで、ロシアの話ばかり聞いてこられたんです。ふつう社長面接は最後ですけど、一次のときからいらして、最終までその調子で、「ロシアでは、クワスは飲みましたか?」とか(笑)、ロシア文学にも精通されていてドストエフスキーの話を聞かれたり。最近亡くなられましたが感謝しています。
―― そこに勤めながら『チャパーエフと空虚』の翻訳をしていたということなんですけれども、出版したいという気持ちはあったんですか?
尾山 最初から出版のことは考えていて、休みの日に少しずつ訳していきました。ただ、編集者としてキャリアを積んでいくと、前の訳が拙く見えてきて。訳し始めたときは素人感覚ですから、変なところがあっても「だって原文がこうなってるんだもん」という感じだったわけですが、編集者の目で見ると許せない。訳しては直すことを繰り返して、初稿が完成するまで8年くらいかかってしまいました。
その間、版権がとられるんじゃないかと思って、ずっとやきもきしていましたね。『チャパーエフと空虚』は、欧米では各国で続々と訳が出ていましたから。ある日書店に行くと別の人の訳した『チャパーエフと空虚』が並んでいた!なんて夢をよく見たものです。版権があいているかどうかは、個人ではアクセスできない情報なんです。
原稿が出来上がってから、『眠れ』や『虫の生活』を刊行していた群像社に出版を打診しました。
―― これまで翻訳をやったことがない人が、いきなり版権もとってない長編の完成原稿を持ってきたわけですから、びっくりしたでしょうね。
尾山 よく読んでくれましたよね。400字換算で800枚くらいあるわけですから。自分が持ち込まれたほうだったら「訳したといわれましても」って困ると思う(笑)。
原稿は最初の10ページくらいが編集者の入れた修正で真っ赤になって返ってきました。「半年くらい待ちますから、こんな感じであとも直してください」って。僕は完璧に仕上げたつもりだったので、ものすごくブルーになったんですよ。でも、赤字を入れてもらうというのも貴重な体験ですし、とりあえず虚心坦懐に指摘を検討して、新しい目で全体を見直してみようと思って。結局、本になったのは2年後です。
―― 本になって、反響はどうでした?
尾山 沼野充義先生が「週刊文春」で、保坂和志さんが「新潮」の連載で10ページ以上にもわたって取りあげてくださいました(『小説、世界の奏でる音楽』に収録)。報われた思いがしましたね。
ただ、一般の文学好きみたいな人には届かなかった。じつは、すごい話題になるんじゃないか、なんて希望的観測ももっていたんです。これが出たら、ポール・オースターみたいになるんじゃないかって(笑)。ロシアでは、村上春樹とかウエルベックとかを好きな大学生とかが夢中で読んでいるわけですし、訳し始めたときは「ベストセラーになるぞ」くらいに思ってました。海外文学がどれだけ売れないものか、わかってなかったんですね。
『チャパーエフと空虚』は500ページ近くあるじゃないですか。ただでさえマイナーなロシア現代文学でこんな長いものを訳されても、あまり読む気にはならないのかなと。
それで、もう少し手ごろな分量の作品であれば、もうちょっとなんとかなるんじゃないかという思いがくすぶっていて。それで『宇宙飛行士オモン・ラー』を訳したんです。これは1~2か月で訳しました。
―― ずいぶん速いじゃないですか。
尾山 なぜかというと、いろいろあって会社が休眠状態になってしまって、毎日出勤はしなくちゃいけないんだけど、定時に終わるんですよ。夕方の6時以降はフリーという、社会人になってから体験したことがない状況になったので、今を逃したら機会はないと、必死にやったわけです。
―― あらすじを簡単に紹介すると、旧ソ連で夢の宇宙飛行士になった主人公が、帰れない月への特攻飛行を命じられてしまうという話です。尾山さんの読みが当たって、話題になりましたね。
尾山 発売して一日二日くらいのときに、Twitterで円城塔さんが言及されているのを見て、おおっ、と思いました。
―― 一般読者の感想もたくさん目にしました。"ロシアの村上春樹"というキャッチコピーも大きかったんでしょうか。
尾山 略歴にさらっと入れただけですけど、意外に広まりましたね(笑)。沼野充義先生がペレーヴィンをうまく説明するための比喩としておっしゃっていたのを使わせてもらったんです。SFやファンタジーっぽいテイストもありつつ、文学として評価されているという意味だったと思います。
村上春樹も大好きですけど、ペレーヴィンはあまりウエットなところはないですね。
――語り口はドライだけど切ないんですよ。例えば、主人公のオモンが幼なじみのミチョークと初めてワインを飲んだ日のことを回想する場面。ゴミの臭いが漂う穴蔵をふたりは宇宙に見立てて這いまわります。〈人の一生が過ぎる穴蔵はたしかに暗く汚く、あるいは自分たちにはそんな場所こそが似つかわしいのかもしれない。しかし僕らの頭上の青い空には、まばらに点在する星々にまじってとりわけ強く輝く人工の光が、いくつもの星座をぬって這うように動いている〉というところとか、すごくいいなって。
尾山 前半、中盤の叙情的な描写が、後半の「あの感傷は何だったんだ」みたいな良い「膝かっくん」感につながってますよね。
―― 『チャパーエフと空虚』と同じく、陰気な話なのにキャラクターがユーモラスで、読んでいてすごく楽しいという面もあります。
尾山 登場人物に対して愛があるというか、肯定的に捉えようとしているように思います。例えばオモンの航空学校の教官であるウルチャーギン大佐は、ソ連時代の悪しき存在の典型だけれども、彼にとっての正義みたいなものも描いている。
―― ウルチャーギンもそうですけど、人名ひとつとってもいろんな意味が隠されていて、中編とはいえ訳すのはたいへんだったんじゃないですか?
尾山 「ペレーヴィンのテキストにおいて、1か所たりとて偶然によるものはない」なんていう人もいるくらいなので、できるだけ引用やサブテキストを拾って訳註に盛り込みました。
思いも寄らないところが響き合っていたりして、注意深く読まないと、とんちんかんな訳になってしまう。仕上げの段階では、通勤電車でオーディオブックを何回も聴きました。読むだけじゃなく音で繰り返し聴くことで、「あっ!」という発見があったりしました。
―― ペレーヴィンの小説は「読んでいると、何か軸がずれていく感じがある」という話がありましたけれども、『オモン・ラー』のずれ方もすごいですね。
尾山 なんでこうなるの、みたいなことの連続です。物語を語りたいというよりも、何かほかの力学によって出てくる言葉を、著者の脳内にしかない理屈でもってつなげていく。読んでいる人にとっては、それがどういう理屈でつながっているのかよくわからないんですけれども、必然性のある感じはする。そういう小説に強く惹かれます。逸脱してもそう書くのが正しいと考える著者の思考形態に惹かれるのかもしれない。