―― 尾山さんが好きな形で逸脱していく小説には、ほかにどんな作品がありますか?
尾山 ヴェネディクト・エロフェーエフの『酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行』とか。これは70年代に書かれて、当初は地下出版で廻し読みされていたせいかカルト的な人気がある本です。作家の命日には世界中から人が集まるらしい。アル中の男が愛する女と幼な児が待つペトゥシキを目指してモスクワから列車に乗るんだけれども、いつまでたってもたどりつかない。独特のロシアの空気みたいなのがありつつも、ユーモアのセンスもあり、哀切なところもあり。最後まで読むと美しいと感じます。
あと、最高なのがウラジミール・ソローキン。ある意味テキストに冷淡で、なんでもかんでもぶち壊してしまうんですけれども、短編集『愛』は、文学が好きな人にはぜひ読んでほしいです。とくに好きなのは「寄り道」。役所みたいなところに、偉い人が仕事のチェックをしに来て、執務室で担当者と2人きりになる。何か説教するのかなと思っていたら、おもむろに机の上に立ち上がり、何をするかというとうんこをする(笑)。
ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』も普通の小説として筋が通っていながら、夢の中みたいなロジックがある。なんでこういうふうに話が展開するかな、という。例えば、はじめのほうに黒猫が路面電車に乗ってくるシーンがあるんですけど、人々は猫が乗車賃を払おうとしても驚かない。車掌は「猫は駄目だよ」とか猫に言って、ルールを守らない図々しさのほうに呆れている。
―― その前に猫がお金を持ってるほうが変だろう、みたいな。
尾山 そうそう(笑)。ペレーヴィンと同じで、何を軸にして読んだらいいかわからないところがあります。あと、ロシアの作家じゃありませんが、ゴンブローヴィッチの『トランス=アトランティック』はすごいです。頭から最後までめちゃくちゃな書き方で。ポーランド生まれの作家が、アルゼンチンに行って騒動を巻き起こす。ゴンブローヴィッチ自身の体験をもとにした小説です。
ゴンブローヴィッチはわかりませんが、今挙げたようなロシアの作家、ペレーヴィンも、エロフェーエフも、ブルガーコフも、僕は"ゴーゴリの子供たち"みたいな感じだと思うんですよ。
―― ゴーゴリの子供たち?
尾山
みんな、「ゴーゴリ魂」みたいなものを大事にしているのかなあと。ゴーゴリの『死せる魂』は本当にハチャメチャで、本当に魅力的な小説です。
主人公のチチコフが死んだ農奴の戸籍を買い集めてひともうけを目論むというのが物語の主軸のはずなんですけど、なかなか話が進まなくて、延々と逸脱している。ある矛盾に満ちた話を説明するために、「要はこういうことだ」とたとえ話を持ち出したかと思うと、そのたとえだったはずの話のディテールにどんどん入り込んでしまって、ついに元の話にはもどってこなかったり。
チチコフがなんとかして死んだ農奴の戸籍を買おうとすると、話をもちかけられたほうもなんとか屁理屈をこねて、少しでも高値を引き出そうとするんですけど、その屁理屈合戦も、まともに読んでるといつのまにか「何の話だっけ?」みたいなことになっていて最高に楽しい。未完ですけど、そんなことは問題にならないくらいおもしろい小説です。
ドストエフスキーにも、そのハチャメチャな祝祭的空間が継承されていると思います。会話がおもしろいんですよね。『悪霊』とか『カラマーゾフの兄弟』とか、ただでさえ最高潮にややこしいクライマックス的な場面に、もうひとつ最高潮にややこしい状態になっている一団が乱入してきたりして、容易には話が進まない。物語をどこかに落とし込むつもりがないというか、強固なキャラクターをぶつけあったときのケミストリーを見ているようで、読んでいてもう、わくわくしてしまいます。