辻村 直接のモデルはいませんが、『ゼロ、ハチ~』の登場人物たちのキャラは、私のいろんな友人知人と自分が話した時の空気感を参考にしています。30歳前後の誰にも共通しているのは、すごくシンプルな行動原理なんですね、「幸せになりたい」という。だから、親身になって友だちの相談にも乗るけれど、あくまで自分のデメリットにならない範囲まで。幸せに対してすごく貪欲なんです。
そうなってくると、どんな人物も、ストーリーの都合による要請として登場させるようなマネはしたくないんです。ひとり増えるたびに、その人物自身が自分の幸せをどう考え、何にプライオリティーを置いているか、最初にそのあたりははっきりさせておきました。それぞれの立場や状況に自分を沈めるようにしたから、憑依したような書き方ができたのだと思います。『凍り~』と『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』の間に『太陽~』を書いたことは、その意味でも自分としては大きかったプロセスです。
── 参考文献に、岡崎京子さんの『Pink』(マガジンハウス、絶版)もありました。
辻村 女の子の幸せって何なのか、不安定さってどこから来るのか、人にもわかってほしいけど、簡単にわかられてたまるかという気持ち。岡崎京子さんにはずいぶん、女子的な世界についての洗礼を受けています。『Pink』のヒロインは、昼はOL、夜は売春するユミという女の子。家でワニを飼っているんですが、どんな目に遭っても、家に帰ればワニがいることで救われる、あの感じが大好きで。
なので、第2章で登場する翠ちゃんのキャラを、しゃべり方とかいろいろ考えているとき、岡崎さんの世界を借りてこようと思いました。
── 逆に、翠ちゃんは、これまでの辻村さんの作品にはいなかったキャラです。
辻村 そうですね、私の作品にはみずほのような、“考えている子”が多い。でもチエミはまったくそういうタイプではないので、どう語らせたらいいかと考え、チエミを補完するような存在として翠ちゃんが出てきたんです。
実は翠ちゃんの存在を、男の子にすることもできたと思うんです。翠ちゃんが男性で、チエミに惹かれるという構図にしたら、救われる部分もあるかもしれないと。でも、この小説世界に、容易に恋愛で解決してしまうような目線を入れたくなかったんです。ぜひとも女の子だけで完結させたかった。
それならば翠ちゃんをどういう女の子にするか。それを今度は詰めていったわけですが……。あの、「トイレ飯」ってわかりますか?
── わかります。トイレで食事を摂る若者がいるという話。本当かどうかはわかりませんが。
辻村 それを最初に知ったとき、すごく衝撃を受けたんです。もともとは、ネットで飛び交っていた“ネタ”に、新聞社が飛びついて広まったんですね。都市伝説じゃないか、いや実在するとちょっとした騒動になったほどで。それを受けて、学生たちに取材をした違うマスコミもあったんですが、彼らが口々に「気持ちはわかる」と答えていたのが印象的でした。トイレ飯が事実なのか否かは結局わかりませんでしたが、そこでわかったのは、ひとりで食事をしているのを見られるのは絶対にイヤだという恐怖感に近い気持ちが、女子だけでなく男子にも浸透しているくらい普遍的な風潮なんだと。
友だちがいない寂しいヤツだと思われたくない、青春を謳歌しているように見られたいという目線の裏側にあるのは、誰かスケープゴートを作り、その人を笑うことによって、「あの人に比べれば自分は大丈夫」と安心する、そういう心理です。そうした女子コミュニティーの犠牲者として翠ちゃんを書きたかった。
チエミは、本心では望んでいないことも周囲に合わせて、流されて、必死でコミュニティーの中にい続けようとしたけれど、翠ちゃんは逆ですよね。合わせることもできたけれど、そうしなかったから浮いている。ただ、持ちたくない持ち物は持たないし、自分を好きと言ってくれる人に対して、周囲にどう思われるかとかを抜きにしてきちんと向き合える子です。それは、どんな女の子もそうあることもできたかもしれない、楽に呼吸が出来る生き方のかたちなんですよね。だからチエミを、そんな女の子と触れ合わせたかったんです。
問題が起こってしまった後ではあるけれど、チエミ自身にも成長も変化もあっていいと思いました。単に事件をめぐるあれこれを明らかにしていくだけでなく、チエミがどう変わっていくかを見せるのであれば、それを脇から照らす存在の翠ちゃんが必要でした。そういう意味で、翠ちゃんは、とてもよく動いてくれたなあと思います。
私にとって魅力的な人間を書こうと思ったとき、キーワードになるのは「強さ」と「優しさ」なんですね。すごく強いか、すごく優しいか。そのどちらかを備えていれば、もう片方はそんなになくてもいいと思っていたんですが、書いていると、どちらかを持っている人は実はどちらも持っているんだなあというのが最近の実感です。
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