—— 同じく高橋さんとの対談の中で、アナロジーというか、野球と文学という比較で語っている箇所があります。主に高橋さん側から発せられていますが、「チーム」という言葉も出てくる。穂村さんは、今という時代の書き手として、同時代人たちと共同戦線を張っているような感覚はありますか?
あります。というのも、一人だとすぐにわからなくなっちゃうんです。つい先ほども、ここに来る前に原稿を書いていたんですが、寺山修司が撮った『猫学Catllogy』という実験映画に触れています。これは現存しないフィルムでぼくも観ていないんですが、半ば噂によると、猫をたくさん屋上から投げ捨てて、それを撮影したという。この場合、もし作品は観たうえで、「なるほどこれは猫を殺す必然性がある」と判断できたらどうするかとか、そんなことをずっと考えていたんです。よく映画などで、魚が路上にピチピチ跳ねている映像なんかありますね。あれも、魚を食うならOKだがああやって映画にしちゃいけないとか、その線引きは何なのか。じゃあ、撮影したあと食えばよかったのかとか、そういうことがわからないんです。でもぼくがわからないからといって他の人もそうとは言えなくて、「オレは迷わず殺すよ」という人も絶対にいるだろうし、「自分は絶対に殺さないし、殺すような人間を拒否する」という人だって確実にいるだろう。そういう話を聞いてみたいという気持ちがありますね。
—— いろいろな人がいろいろなことを言う。正反対の意見もある。しかしそのことで、「みんなで何かに立ち向かっている」ということになると?
はい。ぼくは「みんなして立ち向かっている」ということなんじゃないかと思います。
—— 『どうして書くの?』の中の、長嶋有さんとの対談のタイトルが「生き延びるために生きているわけではない」なんですが、本というのは「生き延びる」ために必要な本もいっぱいあって、実際にいっぱい出ていますが、やはり「生きる」ことにかかわっていてほしいと思うんです。今は若い人の就職とか、壊滅的なことになっていて、それこそ「生き延びる」ほうに行っちゃう感じですが、だからこそ「生きる」ための本がほしいと思います。
短歌の世界では、いま、メタファーが死滅しようとしています。「メタファーってけっきょく、贅沢品だったんだ」ということになってきた。21世紀になってから出てきた若い歌人たちにとっては、誰も正社員になれないような世の中でメタファーなんてふざけんな、という感じなんですね。ぼくらが80年代に作っていたような短歌、例えば加藤治郎の「バック・シートに眠ってていい 市街路を海賊船のように走るさ」なんて冗談じゃないと。これは『短歌という爆弾』の「爆弾」が被爆者から見たらあるいは「ふざけんな」となるのと同じで、言語はその人個人のサイクルの中で使われているけど、全体としての周波数が変われば10年くらいで大きく変わってしまう。短歌は形が同じだからその変化が見やすくて、今の人たちのまなざしは冷え冷えとしていてリアルです。
しかしそのうえでやはり、人間は「生き延びる」ということとは別の動きをするということを考えたい。生き延びるだけでいいんだったら生きている間にいちばん楽しいことをやり続ければいいんだけど、それとは違う、ヘンな憧れに殉じたいというか、そういう動きは拭いがたくあると思います。
—— そういう「動き」の中に、ワンダーに対するポテンシャルや、文学との接点もあると。
そうですね。アンデルセンの生家に行った時、切り絵がいっぱいあったんです。アンデルセンって、切り絵もすごく巧いんですね。その切り絵を切ったハサミが展示されていて、「このハサミに指を入れてこの切り絵を切ったんだ」と、ガーンとなりました。当たり前なんだけど(笑)。あと、マリリン・モンローとジョー・ディマジオが実際に使っていたベッドを見た時は、「え、こんなに小さいの!」と驚きました。モンローはわかるとして、ディマジオって野球選手じゃん。なのにどうして? と。あと、モンローのブラウスも襟ぐりがすごく細いんですよ。「こんなに首細かったのか」と思いました。空海が書いた手紙をガラスごしに見た時も、「今ここに、たった15センチ下にある!」と興奮したり(笑)。そういう衝撃って実は誰にでもあるし、「生き延びる」ことだけに集中せざるを得ないと思っている人にも、絶対に欲求はあると思います。
—— 冷ややかなだけではなく、興奮するポイントはあると(笑)?
仕事で時々、NHKに行きますけど、通用口のところでスターの出待ちをしている子たちがいます。あそこ、なんだか妙に薄暗いんですが、蚊に刺されたりしながらドキドキして待っている。ぼくも、「このショボい通路を清志郎も通ったのかな?」「実物見たらどのくらいすごいのかな?」と思ったりして、ぼくはおじさんなんだけど考える(笑)。
ああいう出待ちの子たちが求めているのはやはりワンダーなのであって、それは本当はけっして劣化していない、ただそっちのほうに時間を割いたりできにくくなっているだけだとぼくは思います。
—— 最後に、今後の刊行予定を教えてください。
このインタビューがアップされる頃には、『世界音痴』が文庫化されていると思います(小学館文庫)。それと、たぶん11月だと思いますが、去年スターバックスコーヒーのサイトで、一般の方が応募してきた短歌についてぼくがエッセイを書くということをやっていて、それが『人魚猛獣説 スターバックスと私』(かまくら春秋社)という本になる予定です。
—— わかりました。きょうは長い時間、ありがとうございました。
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