B.J.インタビュー vol.3 by Sugie McKoy 2009/1/29(株)角川書店にて
道尾 そういう意味では、今のところ僕は残酷なものを書いていない自信があります。
――私は、真摯に対象と向かい合った小説を書く作家という風に思っています。残酷だとは思わないですね。
道尾 でも、きっと僕の書きっぷりが甘くて、読む人が視点人物に自分を重ねてくれないと、やはり残酷ととられてしまうんでしょうね。
――そう読まれてしまう可能性はずっとあるでしょうね。でも、たとえば都会生活者の無関心のために見捨てられる人物というのは出てこない小説だと思います。そういった意味ではとても暖かい作風ですよ。道尾さんは基本的に登場人物にかまいますからね。
道尾 そうですね。ちょい役でもなんでも、登場させてしまったからには……。
――かまってあげますよね。干渉してあげるでしょう。
道尾 そうです(笑)。みんな大好きなんですよ。
――『カラスの親指』で主人公が部屋に放火されるのだって、見方によってはつまり、ずっとかまってもらっているわけですよ。あの作品に道尾さんが書いた書店ポップを見て、なるほど、と感心したことがあるんですけど。道尾さんは完全に放置されて孤独死しちゃう人を出さないでしょう。
道尾 出さ……ないですね。たぶん、僕の書き方だとずっと出てこないです。
――勝手な想像ですけど、道尾さんは密な人間関係が好きなのですよ。
道尾 多少僕の憧れもあるかもしれません。さっきの『カラスの親指』のポップですけど、たぶん文面は「他人のような家族より、家族のような他人のほうが、絶対強い」というようなものだと思うんです。
――あっ、そうだそうだ。そういう表現だったと思います。
道尾 家族に限らないんですけど、現代はちょっと人間関係が希薄すぎるんじゃないかというのはいつも思っていることです。
――どんないびつな形であっても、何かの繋がりを持って干渉していたほうがいいよ、ということが、きっとどの作品の中にもあると思うんです。『片眼の猿』(新潮社)『カラスの親指』、それから『向日葵の咲かない夏』もそういう作品ですよね。それが大テーマとしてあるのだろうと思います。
道尾 僕の書く話は、ある人が本当に辛い目に遭ったり、時には発狂しちゃったり、ということさえある。それが嫌になる人もいるとは思うんです。「もう読みたくない」という人の気持ちも判ります。でも、決して軽い気持ちでやっている訳ではないんです。読者よりも僕のほうが登場人物のことを知っているつもりですし。
――わが子を殺すようなものでしょうね。
道尾 自分の書きたいテーマや感情を表現するためには、悲惨な出来事だって起こさざるを得ないときがあるんです。もし作家がある人物を殺したり、辛い目に遭わせたりするための免罪符があるとしたら、それぞれの人物を本当に心から好きになることでしょうね。僕は今のところそれが出来ていると思います。
――たとえば死んでしまうような運命を辿る人であっても、その人物の中に入りこんでいるという実感がおありなんでしょうね。
道尾 はい。僕は「死」を書きますが「死体」は書いていないつもりです。
――人間を物として扱いたくはないと。
道尾 そうです。
――人間への関心があるんでしょうね。その意味でも僕は「冬の鬼」は素晴らしい恋愛小説だと思います。
――『鬼の跫音』は、イチオシの作品が人によって違う本になると思いますが、作者としてはどうでしょうか。いちばん「書けた」という実感がある作品はどれですか。私は「鈴虫」ではないかと勝手に思っているんですが。
道尾 好き嫌いでいうと横並び一列で本当に同じくらい好きですね。でも正直、書き上げた時に「あっ、俺凄いの書いたな」と思ったのは「鈴虫」でした。
――これは素晴らしい父子小説です。私はこのお父さんの「お前の鈴虫を殺すわけないじゃないか」という台詞がとても好きなんですよ。鈴虫のことが気になって仕方ない父親が、息子の飼っている鈴虫を発作的に殺しそうになり、見咎められてキンチョールを持って振り向くという。これはいい話ですよ!
道尾 テーマは一応、犠牲ということになっているんですけど、色作りというか、「虫籠」の「籠」を漢字にするかカタカナにするか、という細かいところを最後まで慎重に調整しました。さっきキンチョールっておっしゃいましたけど、この作品では「殺虫剤」なんですよね。僕は、たとえば「イソジンでうがいをした」とか「セブンイレブンに買い物に行った」というような文章がとても好きで、自分でもよく書くのですが、あの場面では絶対に「殺虫剤」じゃなきゃ駄目だ、と。
――なるほど。そういう細かい表現まで気を遣われたわけですね。
道尾 「鈴虫」は、収録作中でも一番デリケートな話だったんです。ある一行を失敗しちゃうと全体がただの馬鹿話になってしまう。だから最後まで苦労しました。
――さっきのお話でいうと、「鈴虫」は本当にムダなところがなく全部を使っているという感じがあります。
道尾 そう思っていただければ嬉しいです。
――この作品集の白眉は「鈴虫」だと思うのですが、タイトルがそれだとちょっと弱いかな。でもタイトルを『鬼の跫音』にされた理由はなぜなのですか?
道尾 最後までメインタイトルは決まっていませんでした。「箱詰めの文字」の最後に「日向水」という言葉が出てくるんですよ。人間がみんな抱えている生ぬるい澱みのようなものを表現する言葉として、最初はこの「日向水」をメインタイトルに入れたかったんです。人間を虫にたとえて、『虫たちは日向水の中を泳ぐ』というタイトルを考えました。でも編集者から「日向水ってあまりにも耳慣れないので」という意見があって、取りやめになったんです。そこで新しいタイトルを色々と考えているときに、「冬の鬼」の冒頭に「遠くから鬼の跫音が聞こえる」という一文があることを思い出したんですね。鬼の跫音というのは、焦燥とか不安の象徴として考えたフレーズです。
――いいフレーズですよね。
道尾 あれは一人称の日記形式なんで、主人公である女性が焦燥や不安といった感情に囚われていても「私は焦燥を感じている」と文章にすることは絶対にできないわけです。それで「鬼の跫音」という言葉を思いついたんですけど、後々考えてみたら鬼の跫音は全話の主人公が共通して聞いているものなんですよ。そう思いついて、「ああ、メインタイトルはこれしかないな」と思いました。で『鬼の跫音』にしてみたら、偶然にも僕がひそかに続けている十二支シリーズの丑寅が消化出来た(笑)。「丑の角」に「寅の腰布」、しかも丑虎=北東=鬼門で、負のエネルギーがいっぱいという感じもする。干支の件は完全に後付けなんですけれど、偶然って本当にあるんだなと思いました。たまたま使ってない二つの干支でしたし。
――十二支に呼ばれているんですねー。
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