7月9日(水)
妻に、この日記を読ませてみた。
そしたら「『カラマーゾフ』がどんなストーリーの小説なのか、さっぱりわからへん」との苦情をぶつけられた。
うん、たしかに未読の人には、そういう意味で、不親切な記述がつづいてきたかも知れない。まことに申し訳ない。
ただ、少しだけ、いい訳をさせてもらいたい。楽をしたいから意図的に説明を怠ったというわけじゃない。それにはそれなりの理由もあった。
じつはこの小説、登場人物の相関関係やそれにともなう逸話がひどく込み入ってはいるものの、大筋のストーリー自体はわりとシンプルだったりするのである。ちょっとでも説明してしまうと、アッという間のネタばらしとなってしまうところがある。これから読もうという人にとって、それは逆に不親切なことになるだろう。それは避けたかった。
そもそも、ここまで読んできた中では、強烈に興味を引くような展開はほとんどなかったといっていい。現在、第3巻 第3部 第8編「ミーチャ」の章の189ページまできたのだが、嫉妬の炎に身を焦がすドミートリーの錯乱にも似た行動のはじまりによって、ようやく物語らしい動きがでてきたといった感じなのである。
そう、どちらかというと、これまでは主に、登場人物たちの饒舌な会話の中で示される宗教観というか、哲学というか、思想というか、そういうものが小説の中核を占めてきていた。小説という形にする必要があったのか? と訝るほどに重厚かつ難解な論がつづいたのである。で、それを簡単に説明しろといわれても、当然、すごく困るわけである。
いろいろ、わかってもらえただろうか?
ただ、いい機会といえばいい機会。この小説がどんな小説なのか、ストーリーおよび思想の中身の紹介はさておいて、いまの時点の自分なりの簡単なアウトラインというか、印象というか、そこらへんを以下に書き記しておきたい。
●ま、一言でいうと、『ピュアな魂のあてどない彷徨を描いた物語』といったところですかな。
●ピュアな魂の持ち主とは、信心深い主人公アレクセイ(カラマーゾフ家の三男で愛称はアリョーシャ)のことを指すわけですが、もしかしたら、女好きで破滅型の長男ドミートリーと、知的だが悪魔的な考えをもつ次男イワンも、すれたとはいえ、純真無垢な魂を抱え、苦悩し、彷徨っていると見てよいでしょう。
●その場合、アレクセイは心による彷徨、ドミートリーは行動による彷徨、イワンは頭脳による彷徨ということになるでしょうか。
●父フョードルは、彼らのそれぞれのピュアな魂の彷徨を際だたせるための、穢れたピエロ役を演じているいったところです(40歳以上の穢れたオヤジには、いたくシンパシーを感じさせます)。
●その他、重要な登場人物として、ゾシマ長老、スメルジャコフ(スルメジャコフじゃないよ)、ラキーチン、グルーシェニカ、カテリーナなどなどがいるわけですが、やはり彼らも、三人の魂の旅を刺激したり、惑わせたりするために蠢きまくっているといっていいでしょう。
●彼らのことをいちいち説明するのは、ひどく難しい(めんどくさい)です。とにかく、みんなロシア的といえばいいのか、ものすごく濃いキャラを発揮してます。内容の善し悪しは別として、ときに彼らの饒舌は鬱陶しいことこの上ありません(しかし、彼らの言動をつぶさに観察しておかないと、物語への理解は失せます。この読書の辛いところの原因の一つです)。
●いずれにせよ、今後の興味をつなぐのは三人の魂の行方でしょう。
●いよいよ、ドミートリーが、大きな事件に巻き込まれそうな感じで、少しミステリーの様相もでてきたわけですが、その事件を契機にそれぞれの魂がどう動くのか、そこに意識を集中したいと考えます。
なお、たったいま、ここまでの記述を、妻に見せた。
そしたら「ふーん、そうなんや。なんとなくわかった。……じゃ、もう寝るわ」との答えをもらった。
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