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渋谷豊さんに聞く「どうしてそんなにダメ男小説が好きなんですか?」(後編)

位置づけるのが難しいダメ男

 ――ボーヴの未訳の作品も読んでみたいです。

 渋谷 そういっていだだくのは一番うれしいんですけど、ボーヴの小説って、どうして訳すべきなのかとか、意味づけるのが難しいんですよ。
例えば、聞いた話によると、アメリカ文学でもダメ男は定番のテーマらしい。アメリカはヨーロッパに比べると歴史が浅いし、自分たちの文化的アイデンティティーを求める気持ちが強いから、精神的にも肉体的にもタフで、開拓者スピリットにあふれているような、アメリカンヒーローをつくり出していったと。そういうアメリカンヒーローの対極にある存在として、ダメ男が登場するんだそうです。
でも、ボーヴが書くダメ男は、文化史的に見てこういう価値があるんだよとか、言いづらいところがあります。常に「ぼくはおもしろいと思うんだけど、どう?」と、同意を請うような感じの紹介の仕方になってしまうんですよね。相手がおもしろいと思ってくれようが、くれなかろうが、日本語にする意義があると強く押し出せない。
もっと考えれば、フランス文学におけるダメ男の位置もわかるのかもしれませんけど、ぼくは位置づけることに本質的な興味がなくて。どこの国の文学かとか関係ない、人間の悲しみが描かれていることのほうが大事だろうという気がしてしまう。
文学研究にとって重要な著作だから訳そうとか、そういうモチベーションって全然ないんですよね。

 ――訳したいと思ったときに、本の読み方は変わりますか?

 渋谷 編集者に企画書を送らなければいけないので、絶対1回は読み返します。その際にメモをとったり、特におもしろいところをチェックして、ここを部分訳で示そうというようなことは考えます。ただ、ボーヴに関していうと、例えば 『ぼくのともだち』なら、翻訳の話が出る前に、少なくとも10回は読み返しているんですね。だからメモはとりませんでした。

 ――企画書を書くとき、編集者に作品のおもしろさを伝えなきゃいけませんよね。何か心がけていることなどあれば。

 渋谷 ひたすら、自分がどんなにこの作品を愛しているかというのを訴えます。

 ――今後、訳してみたい作品を教えてください。

 渋谷 今、ちょうど読みだしたところなんですけど、高校生が選ぶゴンクール賞を受賞した、ジャン=ミシェル・ゲナッシアの『手に負えない楽天家クラブ』(※)という小説があるんですね。1950年代、60年代のパリを描いていて、サルトルとか、実在した人の名前も出てきます。語り手が、いい感じにやんちゃなんです。決して親のいいなりにならない、いたずらっ子で。おやじは結構ダメ男で、母親と喧嘩もするけど、温かい雰囲気の家庭で育っている。まあ、けっこう深刻な問題を抱えた家庭なんですけどね。
どこか『母の家で過ごした三日間』の主人公の少年時代を思わせるものがあります。ヴェイエルガンスの『母の家で過ごした三日間』はゴンクール賞受賞作なので、知られざるものを見つけたわけじゃありませんけど、読んだときは良いものに当たっちゃったとうれしくなりましたね。これはおもしろい、めちゃくちゃ売れると思って訳したんですけど……反響があまりなくて。

 ――書けない作家が書けない作家の小説を書いているという、マトリョーシカみたいな構造になっていて、「今、誰の話を読んでるんだっけ?」と混乱することもあったんですけど、一つひとつのエピソードがおもしろいんですよね。

 渋谷 でしょう? 馬鹿馬鹿しいシモネタを一生懸命考えている感じも好きなんです。ヴェイエルガンスは他の作品もおもしろいんですよ。お父さんの関係を書いた『フランツとフランソワ』(※)とか、日本を舞台にした『僕は作家だ』(※)とか。
あとはジャン=ピエール・ミロヴァノフの『最後のナイフ』(※)。ミロヴァノフも何年か前に高校生ゴンクール賞を受賞した作家ですね。最後のナイフっていうのは、要するに、脇役にすらなれないような人間という意味です。この小説は、リストラされちゃって、自殺未遂もしたけど、死に切れなかったよという男の話です。主人公は非常に気が弱くて、ストーカーまがいのことをして女性とおつき合いするようになる。人間の弱さを描いているところに魅力を感じました。あれを訳す作業は楽しいだろうなぁ。

 ――渋谷さんが、これはもう訳さずにはいられないみたいな気持ちになるのって、どういう作品なんでしょう。

 渋谷 親しい人に「おもしろいから読んでみて」と言えるような作品でしょうか。長い間かかりっきりになるので、本当に好きなものじゃないと、というのもあります。2年間ずっと向き合って生きていくことを、喜びに感じられるような作品。出版できなくても、勝手に向き合えばいいじゃんと言われちゃうかもしれませんけど。数は多くなくてもいいから、誰かに読んでほしいという気持ちはあります。笑えるもの、奇妙な味のものをこれからも訳していきたいです。

(おわり)

渋谷豊 しぶや・ゆたか
1968年生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒。パリ第四大学文学博士。信州大学人文学部准教授。『ぼくのともだち』『きみのいもうと』で第13回日仏翻訳文学賞(小西国際交流財団主催、西永良成、小林茂、野崎歓、堀江敏幸が選考委員)を受賞。他の訳書に、エマニュエル・ボーヴ『のけ者』、フランソワ・ヴェイエルガンス『母の家で過ごした三日間』がある。



【渋谷豊さんの訳書】

『ぼくのともだち』
エマニュエル・ボーヴ 渋谷豊
白水社小説] 海外
2005.11  版型:B6 ISBN:4560027374
価格:1,785円(税込)
『きみのいもうと』
エマニュエル・ボーヴ 渋谷豊
白水社小説] 海外
2006.11  版型:B6 ISBN:4560027579
価格:1,785円(税込)
『母の家で過ごした三日間』
フランソワ・ヴェイエルガンス 渋谷豊
白水社小説] 海外
2008.03  版型:B6 ISBN:4560092079
価格:2,415円(税込)
『のけ者』
エマニュエル・ボーヴ 渋谷豊
白水社小説] 海外
2010.06  版型:B6 ISBN:4560080674
価格:2,625円(税込)

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