今回紹介する玄侑宗久の新作『阿修羅』の中で、主人公の精神科医・杉本に、臨床心理士を目指す彼の一人娘・沙也佳がボーイフレンドの存在をほのめかしながら、相談するシーンがある。出会う相手が誰によるかで「自分」などどう変わってしまうか分からない。話し方、考え方、立ち居振る舞い……あやふやな、よりどころのなさを自分自身に感じてしまう。そういう疑問に、杉本医師はこう答える。
〈相手によって、引き出される自分は変わってくるだろう。だから、その人の前で自然に引き出される自分が気に入ると、その人が好き、ということになるんじゃないか〉
「まるで自己愛の変形みたい」と反応する娘に、父親は「恋愛は、あらかた自己愛の変形だよ」と言い切って彼女を半ば白けさせるのだが、ここには大事な視点が二つある。(1)自分とは、さらに細切れにできるいくつかの自分から成っていること、(2)人間は自分を他者の目に映し出すことによって、自分自身を理解していること――である。
(1)については後で触れるが、なるほど人間は独りでは自分自身を知ることさえできないのだ。本に書かれた他者の言葉を、私たちは自分のつぶやきとして理解する。また逆に、私たちは他者と出会うことによってしか、私たち自身に出会うことはできない。それならば、自分と他者の違いはどこにあるのか。自分とは一体、何なのか。
さて、説明が前後したが、この小説『阿修羅』は解離性同一性障害、いわゆる「多重人格」に真正面から向き合った作品である。27歳の主婦・田中実佐子は杉本医師のクリニックに通う患者だ。実佐子の体には同居人がいて、時折、実佐子の意識を押しのけて立ち現れる。その間の記憶は実佐子には残らない。実佐子は牛乳が苦手だが同居人は好きらしく、スーパーで買い物をしているときに現れ、実佐子は気がつくと、買い物かごに牛乳パックを入れてレジに並んでいる。仕方なく家の冷蔵庫にしまっておくと、いつの間にか誰か、つまり同居人が勝手に飲んでいる。そして、実佐子は腹をこわす。
同居人は二人いて、一人は友美、もう一人の名前は絵里。つまり「三重人格」ということになる。実佐子はまじめを絵に描いたような性格だが、友美は派手で刹那的な生き方を好む。また、絵里は円満でバランスのとれた、人を引きつける魅力を持っている。専門用語では、実佐子が「主人格」、友美と絵里を「交代人格」という。
解離とは、意識や記憶などが「自分」から切り離されてしまう現象のことで、杉本医師の言葉を借りれば「ある意味では我々の日常にもけっこうある」という。例えば、映画館でスクリーンに没頭し、登場人物になり切って手に汗を握る(変性意識状態というらしい)とか、家から駅までの通い慣れた道を歩いているときに考えごとをしていて、たばこ屋の角を曲がった記憶がないとか、そういう「正常」の範囲に収まるものから、同一性(自分が他でもない自分として一つにまとまっているという確信)が損なわれる、つまり実佐子のような治療を必要とする病的な状態までを含む、幅広い概念だ。
トラウマ(心的外傷)として残るような、とても強い精神的な打撃を受けたとき、その間の記憶がまったく残らないことがある。それも解離の一つだ。逆に言えば、解離することによって心そのものが壊されることを防ぐ緊急避難的な仕組みなのだろう。再び杉本医師の言葉を借りる。
〈簡単に言いますと、夢見がちな状態、とでも言いますかね。……解離の本質は、この夢見がちという変性意識状態にあると思います。要するに、夢見がちじゃないと乗り切れない体験を、実佐子さんはこれまでにたくさんされてきたんだと思いますよ〉
杉本医師は、実佐子の夫・知彦にそう説明する。友美と絵里という別人格は、解離せざるを得ないような実佐子自身のつらい体験によって生み出された。それが、多重人格に対する精神医学的なアプローチに基づく解釈なのだ。一体、その「体験」とはどんなものだったのか。杉本医師は、実佐子を催眠状態に導くことによって、記憶の裏に潜り込んでしまった事柄を探し出そうとする。階段を一段ずつ下りていくイメージで、年齢をさかのぼって昔の記憶を蘇らせる「退行催眠」という方法である。
同時に、杉本医師は友美と絵里にもインタビューを重ねる。二人はかなり幼い頃から、すでに出現していたようだ。実佐子の記憶にない出来事を友美や絵里が覚えていることもある。実佐子、友美、絵里という三者の証言を互いにつき合わせながら(ウラを取りながら)、トラウマのありかを浮かび上がらせていくさまは、まさにジャーナリズム、ドキュメンタリーの手法であり、非常にスリリングである。
ところで、本の中身とは直接関係ないが、退行催眠を5歳、4歳、3歳……と進めておくと、ごくまれに0歳を通り越し、いわゆる「前世」の記憶が蘇ることがある。そこで患者が語ることが、たまさか誰も知らなかった過去の出来事と合致することがあり、魂が輪廻転生する証拠だと主張する人もいる。ユング心理学の立場からは、その不思議な符合を「普遍的無意識」との共鳴として読み解くわけだが、私はかつて一度、週刊誌の取材で日本におけるユング研究の第一人者、河合隼雄氏(当時は国際日本文化研究センター所長)に、「前世」の正体について、話を聞いたことがある。