大きなリュックを担いだまま窮屈そうに背中を丸め、それでも満足そうに「ああ、座れてよかったね」と互いにうなずき合うおばさんたちを見て、私は「あなたたちはさっきまで元気に山登りをしてきたのではないのですか、あえて苦しさもいとわず、二本の足で歩くことに喜びを感じていたのではなかったのですか」と問いかけたい気持ちになった。もちろん口には出せなかったが、もし実際にそう言ったら、おばさんは「だから疲れてこうして座っているんじゃないの」と抗弁するだろう。しかし、空いている席に突進する力は残っているのである。
また、ある大学教授でアマチュアボディービルダーという人が書いたものを読んだことがある。還暦に手が届く年齢ながら、今なおベンチプレス150キロ、スクワットで200キロ近くを挙上する、という話であった。これは実際すごいことなのだが、家では箸より重いものは持たない。奥さんに「おとーさん、ちょっとあのタンスの上にある箱、下ろして」と頼まれても、「疲れるとジムで力が出ないから」といって断るのだと書いてあった。
何のための怪力かということなのだが、そういう本末転倒な話はどこにでもあって、私は練馬あたりから車で「皇居ラン」をしに来る人にも、同じにおいをかぐのである。目白通りの渋滞にはまってイライラしているくらいなら、そこで車を降りて目白通りを2・5キロ走って折り返してくれば「皇居ラン」1周分になるではないか。
いやほら、皇居ランはさ、交差点がないから信号待ちをしなくていいでしょ。心拍数を保つのにこれって大事なんだよね。それからお堀端っていうのは風情があるんだよ、歴史的建造物も多いし。ま、何よりアマチュアランナーのメッカっていうか、日本の真ん中を走る快感っていうか……って、うるさいな。弘法は筆を選ばず、心頭滅却すれば目白通りもまた内堀通り、重いコンダーラ引いて試練の道を、沿道のファミマで買ったカロリーメイトおいしゅうございました、幸吉はもう走れません。それがランナーではないのか。
はい全然違います、ということが、この本『ファンランへの招待』に書いてある。著者の衿野さんは作家で、プロフィルを見ると現代女性の実相をテーマにしたノンフィクション系が得意らしい。着物を着こなし、趣味は日本酒。仕事の合間を縫って落語家にも師事している。1963年生まれというから私より一つだけ年上だが、この多芸多趣味は同世代で活躍する「できる女性」に共通していて、こういう人が知り合いにいると公私ともに物事が非常にスムーズに運ぶ。
私がこの本を読んでみようと思ったのも、著者とほぼ同年齢だったからだ。本の帯に「走りたくてたまらない!」とある。うそつけ、と思った。惹句だから確かに半分は誇張なのだろうが、同時期にテレビで「巨人の星」を見て育った(はずの)世代である。根性、根性、ど根性。ぜいたくは敵だ、ほしがりません勝つまでは。遊びたいとか休みたいとか思うたら、そんときゃ死ね。それが人間ぞ、それが男ぞ、テツヤ! ってテツヤじゃないし、衿野さんは女性なんだけど、マラソン(という名の長距離走)とは常に運動というよりは修行であり、肉体の試練を通じて魂の落伍者をふるい落とす踏み絵であった時代を経てきたはずなのである。
軟式野球のボールが尻に当たって痛い痛いと転げ回る者にとって、硬球が絶望的な硬さを持っているのと同じように、3キロの校内マラソン大会で喉の奥から血の味が上ってきた記憶は「本物のマラソン」を想像力の枠外へ追いやる。別府大分だったかどこだったか、1970年代に日本で行われたマラソンで米国のショーターが途中で便意を催し、沿道の小旗を左手で2、3枚わしづかみに奪い取ると、わき道に入って物陰で用を足し(そのことは後で分かったのだが)、再びコースに戻ってそれでも優勝を成し遂げた。私はそのとき、マラソンとはたとえウンコをもらしてでも走り続けねばならない過酷な競技であり、真に強い者だけがレースを中断して野糞をすることが許される――と思い知ったのだった。
きっと衿野さんも子どものころ、このマラソンをテレビ中継で見たか、ニュースで知ったことだろう。私と同じように42.195キロという距離の持つ神々しいまでの残酷さに身震いしたに違いない。ところが今、衿野さんはマラソン歴7年。週に1、2回の皇居ランをこなし、7回のフルマラソン経験があるという(2009年4月、本書発行時点)。著者は一体、どのようにして根性論のくびきから解放されたのか知りたくて、私はページを繰ったのである。
事実、本にこう書いてある。<多くの人にとって、学生時代の苦いマラソン経験が、「走る」ことへの偏見を生み出しているのは確かだろう。校内マラソン大会が楽しみでたまらなかったという一部の人以外は、体育の授業での苦い思い出を記憶から削除してほしい>やはり衿野さんにとってランニングは苦痛以外の何物でもなかったのだ。