本書は、「ほかならぬ人へ」「かけがえのない人へ」という中編2つが呼応するかたちになっている。至上の愛に飢えながらさまよう主人公たちの恋愛観、ラストシーンの描き方に至るまで、おそらく意図的にネガポジの関係になるよう描かれている。構成が凝っているし、恋愛というもののままならなさは何となく伝わってはくる。
前者は、名門の家柄に生まれながら強いコンプレックスに苛まれ続けている宇津木明生が、結婚の破綻や人の生き死にを経て、真実の愛に気づくというストーリー。明生が信じていた結婚生活にはある裏切りが隠れていて、ことの行方を静かに見守ってくれていた上司の女性と心を寄り添わせていく。しかし、その女性との恋愛にもやがて大きな転機が訪れる。
後者は、本当の愛が見えなくなっているヒロインみはるの苦悩を描いた作品。表向きには理想的な恋人と婚約中で、幸せの絶頂にいるはずのみはるには、長年関係を断ち切れない黒木という男がいる。結婚に意味を見出せないために迷い、苦しみながら、みはるがある決意を秘めて訪ねてきた黒木のマンションで知った現実とは……という展開だ。前者では男性が、後者では女性が、愛に翻弄され、どちらもドラマティック。
もともと、人はなぜ生まれてくるのか、人は本当の愛にめぐり逢うことはできるのかというテーマを連綿と追ってきた作家である。そういう意味では、自分なりの命題に直球で迫った、いかにも著者らしい一冊とも言える。
それがわかっていてなお、どの人物にも感情移入できないのは、登場人物たち描かれ方があまりにステレオタイプだからだ。思考が単純で、自分のどうしようもなさに甘えてばかりいる。それが世相を切り取っているようにも思えるが、人が簡単に死にすぎるし、人が簡単にすねてしまいすぎる。そのせいで、読んでいてつらい。
それにしても、こんなにツッコミどころが多い受賞作もあるのだなあと、逆に感無量。私は普段から、登場人物の名前や年齢、職業、どんな人物かなどのプロフィールや、小説の舞台となる場所や時代といった物語設定、その小説のキーになりそうなフレーズや出来事を忘れないために、本に付箋を付けて読むようにしているのだが、本書では、自分にとっては(笑)と付けたくなるような箇所ばかりに付箋を貼る結果になった。
確か選考会の翌日の講評の中に、〈文章力の勝利〉とあったけれど、そもそも文章力とは何なのか、再考させられた。
小説家の文章力には、読みやすさも当然入ってくるだろう。その点では本書は二重丸で、読者は語りに耳を傾ければ、何の混乱もなく起承転結を追っていくことができる。
一方、手垢のついたレトリックを使わない、豊かなイメージを喚起する表現を工夫するということも、文章力ではないか。だが、本書にはめまいがするほどのクリシェが頻出し、物語に入り込もうとすることを拒む。表題作の主人公・明生を裏切った妻なずなの〈黒い瞳から、涙がひとしずく〉こぼれ、なずなのオム・ファタールともいうべき根元という男の風貌は、〈苦みばしった顔は野性味にあふれ〉ているらしい。
本書のテーマが、唯一無二の愛の形を探すという壮大なものだけに、そんな些末な表現のところでいちいちつまづかされてしまうのが残念でならない。
☆★
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |
賛否が飛び交う『ほかならぬ人へ』については他レビュワーによる書評も収めていますので、ぜひお楽しみください。
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