素晴らしい本が出た。2010年に読んだ本の中で(まだ一ヶ月しか経ってないが……)、これがベスト1である。「なんだ、またビートルズの本か」と侮ってはいけない。ビートルズ「について」の本ではないし、ビートルズとその時代の空気にもたれかかった私小説でもない。『オール・マイ・ラヴィング』は小説であり、確かにそこには、作者である岩瀬成子(じょうこ)さんの私的な記憶や思い出が反映されているに違いないが、これは甘いメモワールからはほど遠い世界であり、ビートルズに対してこれほどまでに切実である、ということが、同時にビートルズとの隔絶と自立をもたらすことにもなっているという、めったにお目にかかれない、稀有の本なのである。
【この町には、ほかにひとりのビートルズファンもいないようだった。ビートルズの名は知れ渡っているのに、「ああ、ビートルズね」と、みんなちょっとうんざりしたようにいう。騒いでるよね、と。ちょっとねえ、なんていうか、ああいうものは一時のものでしょ。】
【ビートルズの矢が刺さっていない人には、どんなに説明してもわからないことなのだ。
わたしには刺さっています。ずばっと。ほら、ここに。】
まず確認しておかなければならない点として、ビートルズファンというのは、実は非常に少数派だった、ということがある。なにしろ解散して今年でまる40年という歳月が経過しているし、間違いなく世界で最も有名なロックバンドなので、当時は多くの若者がいかれたことだろうなあ、とイメージしがちだが、それがいかに歴史的な事実とは違うか、例えば1960年代の中学や高校のクラスの中で、ビートルズファンなんて、せいぜいほんの2~3人しかいなかったはずだということを、複数のライターや音楽批評家などがすでにあきらかにしている。だから、団塊の世代のおっさんなどが、いかに自分がビートルズに心酔していたかを得々と語っているのを鵜呑みにしてはいけなくて、そういうのは後追いか、単なる便乗である可能性が高く、それこそ時代の空気にもたれまくった不毛な「私語り」に過ぎない。
もちろん、後からビートルズを好きになる、というのは自然な現象で、こんにち、世界中の人々がそうして「後から」好きになっている。筆者も、当然、そうである。その「好き」を他人からとやかく言われる筋合いはなくて、それぞれが、自分の「好き」を大切に見つめればいい。
『オール・マイ・ラヴィング』にはむろん、ビートルズは欠かすことができないが、しかしビートルズについての記述は、意外なほど少ない。ここで描かれるのは、1966年、つまりビートルズが来日した年、おそらくは中国地方のどこかと思わる小さな町に生きる、十四歳の女の子の物語である。名前は、平山喜久子。洋服の仕立て屋を営む父、姉と三人暮らし。四十一歳で他界した母は不在だが、しばしば、食べ物の記憶や、その食べ物を扱う際の所作の鮮明な記憶とともに顔を出す。何人かの友人や同級生が取り巻き、その中には仄かな思いを寄せる男子生徒もおり、そして近所の大人たちがいる。
ネコシマ、という名で呼ばれる猫島文房具店は重要な舞台である。ここには、おばあさんがいて、親子のようにみえるけれど、どうもそうではないらしい、ニーさん、と呼ばれている三十歳くらいの男性が切り盛りしている。なにやら芸者のような人もいれば、おもちゃ屋とキリスト教の伝道所を兼ねたおじさんがいて、障害を背負った人もいる。リリーさん、なんて名前の女の人がいる。
バナナは病気にでもならなければ食べられない高級品だったし、ベトナム戦争は、北爆の翌年ということでまだまだ初期段階。電話をかけるには交換手が必要で、電話のない家庭もまだたくさん、あった。オート三輪が現役であり、ペンフレンドと文通することにリアリティがあり……、と、そういう時代である。
同級生との会話や、自分自身の心の中身をみつめるセンテンスも良いが、例えば主人公の平山喜久子の、年長者に向けるまなざしがとてもいい。そこには、やさしさと、やさしさだけに収まらない、なにかむき出しのものと、その両方がある。
【「やあ、いらっしゃい、平山さん。待っていましたよ」
牧師さんは、いつもの少し高くて力強い声でいった。わたしに笑いかけた牧師さんは、だけど、笑っているのにどこかひっそりとしたものを漂わせていた。牧師さんは、若いころは小説を書いていたんだって、と白石さんがいっていた。足が悪くて自分の力だけでは外に出られないので、ずっと家のなかにいて、家の前の柿の木と田んぼと山を見て、一日を過ごしていたんだって。】
ここに、白石さん、という名前が出てくるが、この白石さんが、筆者が個人的に最も深く印象に残る登場人物である。「東京から転校してきた人」である白石さんは、「わたし以外のビートルズのファンという人間に、はじめて、わたしは会ったのだった。」と、そういう人であり、以降、喜久子にとってかけがえのない友人になる。しかしながら白石さんには、この年代の子なら必ずそうあるような、誰かと「つるむ」ようなところがなく、しかし「東京人」としてお高くとまっているというのとはまったく違うことは、そのつましい暮らしぶりと、それを見せることにけっして躊躇などしない態度からも伺い知ることができる。
白石さんは周囲の中学生たちよりも大人であり、そこには常にある種の静けさが漂う。そして白石さんの許に、ある不幸が訪ねてくる……。
『オール・マイ・ラヴィング』が、思春期の女の子を中心とした世界を描き、そこに溌剌とした輝きと、そうした年齢が必ず感染するさまざまな感情を通過しながらも、けっしてエヴァーグリーンな陽光の下に展開するスモールワールドに収斂して行かないのは、この、どこかからやって来て、そして去っていく、白石さん、という女の子を包んでいる空気を、主調低音としているからではないかと思う。
いわば、『オール・マイ・ラヴィング』の中で白石さんは、ポール・マッカートニーのベース、なのである。
Close your eyes and I'll kiss you,
Tomorrow I'll miss you,
Remember I'll always be true.
And then while I'm away,
I'll write home every day,
And I'll send all my loving to you
詞を見れば一目でわかるように、「All My Loving」とは、別れの曲なのである。この小説が、同じく平山喜久子が熱狂的に愛する「キャント・バイ・ミー・ラヴ」でもなければ「シー・ラヴズ・ユー」でもない、「ア・ハード・デイズ・ナイト」でも「フロム・ミー・トゥ・ユー」でもない、「オール・マイ・ラヴィング」でなければならなかった理由がここにあると思う。
『オール・マイ・ラヴィング』は別れの小説である。
平山喜久子の小説であると同時に、白石さんの小説なのだ。白石さんがけっして自ら語らなかった、ある痛み、へのまなざしが、『オール・マイ・ラヴィング』では随所にあらわれる。この1966年時点で、日本の地方都市にはまだビートルズの『ラバーソウル』以降のアルバムは届いておらず、平山喜久子も白石さんも、この先、ザ・ビートルズの通称「青盤」(前期の代表曲をセレクトしたベスト盤が、赤いジャケットなので通称「赤盤」、対して後期が「青盤」である)を聴くことになるだろう。1960年代の後半は、ビートルズはこれまでのビートルズとは違うビートルズに変わらなければならなかったし、世界も大きく変貌しなければならなかった。二人はやがて、「政治の季節」にぶつかるはずである。
そうした時代へ向かうかすかな予兆が、この小説にも、確かにあるかもしれない。しかしそれ以上に、前期のビートルズが持っていた瞬発力のあるシンプルなラヴソングの、その「シンプルさ」、言い訳のない世界の、最後の輝きと痛みを、この小説は清潔に描き出している。
【ラジオで『シー・ラヴズ・ユー』をはじめて聴いたとき、聴いたとたんに、なにかが血に染まった。】
この直接性。「血に染まった」十四歳を前に、我々は滅多なことで、「ビートルズが好きだった」などと口にすべきでない。しかしそれでも、すべての人に、「好きだった」とは言わせなくても、「私はビートルズが好きだ」と、現在形で言うことは許される。それは『オール・マイ・ラヴィング』を読むことが、“なんちゃってビートルズファン”にも許されるのと同じことだと思う。
白石さんが喜久子に残した封筒の中には、大切な本とともに一枚の便箋が挿入されており、そこにたった一行だけ書かれていたセンテンスがあった。感傷的でもなければ情緒的でもない、しかし、溢れるほどの熱情が迸る、あまりにシンプルなその一行は、それこそ筆者の胸、ここの部分に、グサリと深く、「刺さっています」。
その一行を、この痛切な「別れ」の小説を、どうかぜひ、お読みください。この本は売れてほしい。いや、あんまり話題になりすぎて、遠くに行かないでほしいなあ…… とにかく、絶対に絶版にはなってほしくない。
☆☆☆☆☆。いや、ほんとうは、6つです。
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