最後に挙げるのは、『トギオ』と同時に第8回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した作品である。荒々しい『トギオ』とは対照的に、『さよならドビュッシー』は実にすっきりとまとまっているのが特徴だ。おまけにミステリ的な仕掛けも完備している。
裕福な家庭に生まれ、ピアニストを目指している16歳の少女・遥は、ある日、祖父やいとこのルシアと共に火事に見舞われた。三人中ただ一人生き残った彼女は、しかし大火傷を負い、松葉杖がなければ歩けず、ピアノも一気にだと数分しか弾けない身体になってしまう。だが、火事以前に受けていた試験により、遥は特待生として遇されて音楽学校に入学できることになった。おまけに祖父の遺言が発表され、遥は、ピアニストになった場合のみ莫大な遺産が自由に使えるようになると明かされる。そこで彼女は、新進気鋭のピアニスト・岬洋介の指導を受けて、ある国内コンクール優勝を目指すことになった。だが彼女の身の周りでは、彼女の事故死を狙うかのようなおかしな出来事が次々に起こり始めた……。
学校では特待生+大金持ち+身体障害者という「条件」が重なり、苛められる。家庭では、謎の殺人者の影に怯えながら暮すことを強いられる。だが、最大の問題は、ピアノを長時間弾けないのにコンクールで優勝しなければならない点だ。ここで物語はスポ根化する。むろん今どきのことだから、根性のみを拠り所とした精神論にはならない。岬洋介による指導は、実際かなり合理的である。肉体・精神両面にわたる障害を乗り越えて、悩み苦しみながらも主人公がコンクール優勝を掴み取ろうとする姿は、完全にスポ根のそれである。主人公がピアノに自信をなくしている時に素晴らしい演奏に出会って自分の中にある音楽への想いを再認識したり、岬洋介自身のつらい経験が語られて主人公の共感を誘うなど、定番のエピソードもちゃんと備わっています。
これらを描く中山七里の筆は非常に達者である。青春を過ごす少女の想いがストレートに伝わって来て、結構な感情移入をしながら読めてしまうのだ。新人だからと評価に手心を加える必要は一切なく、単純にとてもうまい。
うまいと言えば、ミステリ的な仕掛けもそうだ。よくあるパターンではあり、これだけで驚天動地かと言われると疑問符は付くのだが、それを『さよならドビュッシー』のような物語と組み合わせて、何とも言えない哀しい余韻を物語にもたらしているのは素晴らしい。
現代でクラシック音楽の世界に題材をとった物語に接すると、私はどうしても漫画『のだめカンタービレ』を想起してしまう。『のだめ』は博覧強記の知識・トリビアをさり気なく全編に配し、おまけに一線級のプロ演奏家すら認めるリアルな楽壇描写で鳴らしたが、この点で『さよならドビュッシー』はさすがに分が悪い。登場楽曲は、ショパンのエチュードOp.10やドビュッシーの《月の光》《アラベスク》、リストの《ラ・カンパネラ》など、かなりメジャーなものに限定されている。また主人公が、岬洋介がピアノ・コンクールでリストの超絶技巧練習曲《マゼッパ》を弾いているのをテレビで見て、こんな難曲を人前で弾くなんてあり得ないなどと思っているのには、さすがに驚かされた。認識が甘過ぎる。本当にプロになる気があるの? またそもそも、数分しかピアノが弾けないのであれば、どう逆立ちしてもプロになるのは不可能なはずである。
しかし、これらを理由に作品に難癖を付けるのはさすがに妥当ではないとも思う。知識や認識の甘さは、主人公がまだ16歳の、無謀にもプロを目指す学生に過ぎないことをもって、十分説明できるからだ。逆に少女の初々しさを示すエピソードとして、効果がありさえするかも。
中山七里は、専ら良い意味で小説慣れしている。『さよならドビュッシー』は、達者な筆致が好印象な、質の高いデビュー作であり、広い層に受け容れられるだろう。評価は☆☆☆☆。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |