第8回『このミステリーがすごい!』大賞の受賞作である。
口減らしのため捨てられた子供・白を拾った僕は、家族もろとも村中から白い目を向けられる。学校では苛められ、村人たちは僕の家族に協力してくれない。次第に僕の精神は荒み、やがてある事件を起こして、友人(?)の稔と共に村から出奔することになる。主人公の逃避行は、村から町へ、町から首都の東暁へと続き……。
本書の「ミステリ」性は、「死者の僕が、なぜ過去を振り返ることができるのか?」という問い掛けに、一定の答えが出される点に見出されよう。もっともこれは登場人物による積極的な解明という形を取らず、幕間に挟まれる白と客人の会話から次第に読者が理解できるようになっていて、ミステリに通常期待される推理のカタルシスやロジックによる説得力は希薄だ。本書は、狭義ではなく広義のミステリなのだ。この点はお含みいただいて読まれた方がいい。
ではミステリ性が弱いにもかかわらず、なぜ『トギオ』がミステリ系の賞をとったかだが、答えは単純明快、物語としての力がとても強かったからだ。
選考委員(それも複数)が既に指摘済みだが、やはり同じことを言わざるを得ない。冒頭のつかみは素晴らしい。
「結局、僕よりも白のほうが長生きした。僕が死んで半世紀以上経ったのに、白はそのことをずっと気にしている」
状況がまるで読めないこの文章! 既にこの時点で面白そうである。以降も、僕が死んでから何十年も経って語られていることが、折に触れて言及される。どうやら既に死んでいるらしい「僕」が、なぜ過去を振り返ることができるのか、謎を抱えたまま物語は進む。
本書は(これまた複数の選考委員が指摘するように)通常のミステリとは言えない。登場人物の名前こそ日本人っぽいが、舞台全体は明らかに架空の国であり、現実にはないオーバーテクノロジー気味の機能を備えた携帯端末オリガミが、物語の重要なキーとなっている。この点で本書はSFと言えるが、それらが真正面から微に入り細を穿って説明されるわけではない。架空の事項は、淡々と物語の随所に顔を出すだけであり、最後まで読んでも、世界設定がどうなっているかはあまり明らかにされないのだ。たとえば核戦争後の未来なのか、それとも完全に異世界なのか、全ては不明である。ただしこれが欠点に直結していないのは偉とすべきだろう。敢えて世界設定を明らかにしないことで、読者が想像力を振るう余地を作っているような趣すらあるのだ。
そして繰り広げられるのは、白を拾ったことを契機として人生の軌道を踏み外し、アウトロー方面に転がり落ちていく主人公の、荒んだ青春小説である。彼は、村八分にされ始めて以降ずっと、下層に置かれる境遇を噛み締めつつその現実を目に刻み付ける。様々なエピソードに姿を変えて、我々読者に強烈な印象を残しては過ぎ去って行く。村や町は地方村落の疲弊、大都会・東暁(と言っても人口七十万だが)の暗部は国家体制の腐食と疲労を、それぞれ示しているようで、とても読み応えがある。もちろん、主人公の荒みっぷりもそれだけで読ませる。遂には殺し屋にまでなっちゃうんだよなあ。
欠点がないわけではない。村から出て以降の展開は少々紋切り型だし、現実の日本社会に対する意見を直接的に込め過ぎ(=現実の日本に対してそのまま投げかけても違和感のない意見であり過ぎ)て、架空の舞台を設定した意味合いが薄れている。また、主人公あるいは白の「個」を描きたいのか、国家というシステムの軋みを描きたいのか、最後まで判然としない。個を突き詰めるのであれば平山瑞穂の『ラス・マンチャス通信』(角川文庫)、全体あるいは社会を相手にしたいのであれば佐藤哲也『下りの船』(早川書房)のような、より一層の洗練を望みたい。
とはいえ作者の力量は本物である。このレベルの新人に「君は個に向かうべきだな/社会にもっと切り込んだ方がいいね」などと横から偉そうに口を出すのは僭越というもの。我々読者にできるのは、固唾をのんで作家の出方をうかがうことだけだ。試金石たる次作以降で、必ずや良い結果を出してくれるものと期待したい。
作品が抱える若干のバランスの悪さ、終盤でストーリー展開が迷走気味になる点を勘案して、評価は☆☆☆★としておくが、太朗荘史郎、今後も要チェックの作家です。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |