デビュー作には、その作家のすべてがつまっている、と最初に言ったのは誰だったか。本書を読めば、この言葉の正しさを改めて思い知ることだろう。
いかにも純文学系の気難しい顔が著者近影に使われることも多いが、オースターといえば、とにもかくにも「物語」作家である。60年間消息不明だった喜劇役者の、数奇な人生を大学教授が知ることになる『幻影の書』。思いがけず転がり込んできた遺産で全米を旅するうち、伝説のギャンブラーと知り合う『偶然の音楽』。これらは、語り手が、ひょんなことから「移動」をするうちに、なにか/誰かに出会っていくわけだが、こうした成長小説の王道的な枠組みを、(とっくに少年ではなくなった)中年男がなぞるという点がおもしろい。
そして本書。本書はオースターの小説デビュー作品であり、のちに「NY三部作」と呼ばれる作品群の皮切りとなる作品だが、これまた、語り手は自分の意志とは関係のないところで、移動と出会いの渦にまきこまれていくのだった。
覆面探偵小説家である、主人公クインは、自室でくつろいでいたある夜中、間違い電話を受ける。「ポール・オースターですか?」と問われ、否定するクイン。しかし相手のただならぬ雰囲気に、三度目の電話で、そうであるかの振りをしてみると、「スティルマンという男を尾行せよ」との依頼がなされてしまうのだ。つまり探偵小説家クインは、オースターの名を騙り、部屋を飛び出て、探偵の真似事にいそしむことになる。
依頼主とのやりとりは、対面したその風体からしても度肝がぬかれるものだった。依頼もまた、一筋縄ではいかない。しかし読者にとってもっとも奇妙な点は、いま読みつつあるその小説の著者名が、作中に登場することだろう。もちろんそういう事例はないわけではない(日本では阿部和重などが、長篇作品においてそれをしばしば行なう)。ただ、本作におけるオースター氏の登場は、たんなるお愛想ではないのだ。
物語は通常の謎解きを超え、予想外の展開を見せる。スティルマンの、そして依頼者の不可思議な行動をまのあたりにしつつ、クインが探し当てたオースターという男の生活ぶり。対面し、経緯を洗いざらい話しだすクイン。
〈クインの独白をずっとじっくり聞いていたオースターは言った。「もし私があなたの立場にいたとしても、たぶん同じことをしたと思いますね」〉
間違い電話という日常的な出来事を起点に、つながっていたはずの人間関係や、自分の存在理由が次第に不確かになっていくさまが、まさに小説でしかできない方法で描かれていく。探偵小説における「謎解き」という中心が、横ずれにずれて、脱臼していくさまがたのしい。オースター的な、眉根をよせつつも笑ってしまうといったユーモアが、そこここに仕掛けられている。
この小説はかつて、『シティ・オブ・グラス』というタイトルで刊行されていたが(角川文庫/絶版)、今回、柴田元幸による新訳を得た。これを機に、三部作をよみかえしたくなること必至。☆☆☆☆で。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |
ポール・オースター作品に関しては以下の書評も収めていますので、ぜひお楽しみください。
『ティンブクトゥ』 レビュワー/友部正人 書評を読む
『幽霊たち』 レビュワー/加藤信昭 書評を読む