正岡子規。なんという愛しい人だろう。そして激しい人だったのだろう。正岡子規の書いたものはもちろん、子規について後の人々が書いた評伝や批評、エッセイを読むとき、そこには子規以降に生きる人々(読者である筆者も含めて)のすべての頭上に、さわやかな風が清々と流れているような気がする。いま、自分がこの世界に生きて在るという事実の方にもう一度向き直らせ、励まし、日常をより良く生きるようにしてくれる何物かが、子規を中心に磁場を形成している。そう。要するに私たちは、正岡子規を読み、正岡子規という人がいたことに思いを馳せると、とても元気になるのである。
調べてみるとすぐにわかるが、正岡子規の著作はもちろん、子規について書かれた本も、今日、非常にたくさん出版されている。今日の俳句の基礎を形作った人としては、子規の後継者である高濱虚子も重要なのだが、子規の人気は虚子のそれを大きく上回る。おそらく、虚子の場合は俳句の世界で多大な影響力を持った人として、俳句を志す、あるいは嗜む人々がほとんどの読者であるのに対し、子規はもっと広範な読者がいるためだろうと思われる。そこには、近代以降の短詩系文学の方向を決定付けた改革者としての評価ばかりでなく、軍人・秋山真之との交友や(まさに、いまをときめく『坂の上の雲』の世界だ)、かの夏目漱石との友情、日本における最初期の野球のプレーヤーであったこと(ベースボールを「野球」と訳したのは子規だという説がまことしやかに伝播されたことがあったが、これは完全に誤り)、そしてわずか34年と11ヶ月というその生涯の短さ(数え歳では36歳)が、子規という人物に一層の神話性が帯びるようになった要因だろう。
そんな正岡子規には、俳諧や短歌についての理論的な考察、分類なども含めて、書き綴ったもの、弟子や妹に口述筆記させたものなど多くの文章が残されているが、一般に最も有名なのは、『墨汁一滴』『病床六尺』などの随筆集である。「墨汁一滴」とは、筆に沁み込んだ墨汁一回分で書けるほどの短い書き物を、日々書くという行為であり、「病床六尺」もそのままスバリ、六尺の病床の広さが自分の全宇宙であるという意味。すなわち晩年の子規は、よく知られているように、重度の脊椎カリエスのために完全に寝たきりの状態だった。
子規の随筆群のうち、先にあげた『墨汁一滴』『病床六尺』がいずれも当時の新聞「日本」に掲載されたものであるのに対し、今回紹介する『仰臥漫録』は、発表するつもりのない、いわば私的なメモであった。さらに、『墨汁一滴』『病床六尺』が口述であるのと比較して『仰臥漫録』は子規の自筆によるものであり、つまり非常にプライベートなその声が率直に鳴り響いている本なのである。
【律は理窟づめの女なり 同感同情のなき木石の如き女なり 義務的に病人を介抱することはすれども同情的に病人を慰むることなし 病人の命ずることは何にてもすれども婉曲に諷したることなどは少しも分らず 例えば「団子が食いたいな」と病人は連呼すれども彼はそれを聞きながら何とも感ぜぬなり 病人が食いたいといえばもし同情のある者ならば直ちに買うて来て食わしむべし律に限ってそんなことはかつてなし 故にもし食いたいと思うときは「団子買うて来い」と直接に命令せざるべからず 直接に命令すれば彼は決してこの命令に違背することなかるべし その理窟っぽいこと言語道断なり】
ここで子規は、まるっきり子供のようなことを言っている。明らかに妹の律に甘えているのである。むろん、重病人ゆえのストレスや癇癪は当然あるわけだが、それでも子規はここで「病人の命ずることは何にてもすれども」とか、「彼は決してこの命令に違背することなかるべし」と書いていて、いわば腰が引けながら文句を言っている格好。律は自らの個人生活(恋愛や家庭など)を省みずに生活のほぼ全般を兄の看病に費やしているわけだし、そのことはむろん、子規も痛いほど自覚している。だからこそ、ここで律を理屈っぽい女であると罵倒したすぐ翌日に書かれる以下の内容には、胸をつかれる思いがする。
【しかして彼は看護婦が請求するだけの看護料の十分の一だも費やさざるなり 野菜にても香の物にても何にても一品あらば彼の食事はおわるなり 肉や肴を買うて自己の食料となさんなどとは夢にも思わざるが如し もし一日にても彼なくば一家の車はその運転をとめると同時に余はほとんど生きて居られざるなり 故に余は自分の病気が如何ように募るとも厭わずただ彼に病なきことを祈れり (中略) 故に余は常に彼に病あらんよりは余に死あらんことを望めり】
「故に余は常に彼に病あらんよりは余に死あらんことを望めり」。この一文の重さ。悲しさ。
『仰臥漫録』は、子規の爆発的な食欲が直裁に書き込まれた本としても有名である。一度の食事に粥を何杯も食べ、果物などもふんだんに摂る。子規は菓子パンやココアといった、西洋伝来の食べ物も大好物であり、これらは当時としては相当にハイカラな食事で、正岡家のエンゲル係数の数値が思いやられる。しかもそうして大量に食べたものはほとんどエネルギーに変じることなくまた体外へと出て行くわけだから、いわゆる下の世話も並大抵ではない。こういう状況で子規の母や妹の律は、「野菜にても香の物にても何にても一品あらば彼の食事はおわるなり」という具合だったのだから、果たしてこれらの日々は喜劇だったのか悲劇だったのか。
正岡子規の随筆は多くが岩波文庫から出ていて『仰臥漫録』も例外ではないが、今回の角川ソフィア文庫には大きな特長がある。それは、『仰臥漫録』の原本にあった彩色画が、すべてカラーで色鮮やかに採録されていることだ。昭和24年頃からずっと行方不明といわれてきた原本は、平成13年に忽然と東京・根岸の「子規庵」倉庫内で発見されたが、その原本は「虫損も破損も一葉の欠落もなく、彩色画の色も鮮明な状態」(角川ソフィア文庫の脚注より引用)だったという。
『仰臥漫録』の「仰臥」とは、「仰向け」の状態を指す。と、いうことは……。そう、もはやこの時、子規はうつ伏せになることすらできない状態であり、すべては「仰臥」の姿勢で見つめるしかない庭の朝顔が、夕顔が、糸瓜が、菓子パンが、そして妹の律や母のこと、弟子のこと、俳諧のこと、日本のこと、自分自身のこと、すなわち全宇宙が、この本には絵と言葉で書き込まれている。あえて万人必読! と大書して、☆☆☆☆☆。
編集部より
2009年11月9日現在、『仰臥漫録』正岡子規(角川ソフィア文庫)は在庫がないためご注文いただけませんが、boopleの「チェックリスト」をご利用いただくことにより、入荷次第メールでご案内させていただくことが可能です。ぜひご活用ください(「チェックリスト」のご利用には、boople会員登録が必要となります)。
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