この小説を薦めた男性編集者から、メールで「傑作だ」と返信が来て、逆にちょっと面食らった。傑作というところには異論はないが、本書に描かれた、29歳から30歳という岐路に立つ女性たちの切実さや屈折、母と娘の愛憎入り乱れるアンビバレントが、ホントに男にわかるのか、と思ったからだ。
男性にはわからないと切り捨てたいわけではない。だが、女性たちのアイデンティティ形成において思春期から連綿と続く葛藤、コンプレックスや優越感や自己承認欲求などがぐちゃぐちゃになった“呪い”にも似た女同士の感情、とりわけ母と娘の難しさを、男性は想像することはできても、肌身で共感することはできないだろう。偏見だったらごめんなさい。でも、それくらい女子に読んでもらいたい、女子を救ってくれる小説だと思う。
本書は、思春期から青春期の孤独とその先にある小さな希望を描いてきたこれまでの辻村ワールドとは趣きが違い、みずほとチエミ、ふたりの女性を軸に、女性が生きることのすべての息苦しさをリアルに描いている。第一章と第二章の二部構成。第一章はみずほが視点人物を務め、かつての友人であったチエミの人となり、共通の友人たちのいまを浮かび上がらせる。
みずほは、現在は東京でフリーライターをし、既婚者でもある。かつては親密だったチエミとは、別々の高校に進んだころから、疎遠になっていた。チエミの母が刺殺され、その日からチエミは行方知れずになる。みずほはチエミの足取りを、地元・山梨の古いつてをたどり追っていく。
女友達をめぐり、嫉妬や悪意や思いやりがどう生まれ、それぞれがどう折り合いを付けていくかについての表現は巧み。だが、そうした感情移入以上に揺さぶられるのが、みずほとチエミ、ふたりの母娘関係だ。
失踪中のチエミは、31歳目前だった事件前にまだ実家暮らしで、派遣社員。キレイでもなければ、ろくに恋の経験もない。しかし、みずほの記憶では母娘関係だけは「よかった」はずだし、実際、周囲からは「よすぎるくらいだった」と証言される。仲良し母娘なはずのふたりに、その日何があったのか。みずほは思う。〈娘に殺されて死んだのは、何故、私の母ではなく、あなたの母なのだ。〉と。
みずほの母親は厳しかった。虐待にも思える確たるしつけにみずほは押し潰されそうになりながら、距離を置くことで表層的には母娘の平和を得た。一方、チエミの母はお節介なほどに優しかった。献身的な愛を注ぐ母の自己犠牲にも似た思いに絡め取られ、チエミは母を裏切れない。心理学では「マゾヒスティックコントロール」と言うらしいが、実はみずほもチエミも、母の思い通りの娘になれない罪悪感を植え付けられて育つ土壌は同じなのだ。
その母という存在の重さを、みずほはチエミを探し出して真相を知ることで、チエミはある目的のために逃げ続けることで、昇華しようとするのだが……。
冒頭から、チエミが単に「捕まりたくないがために逃げている」わけではないことは仄めかされている。だが、それ以上のチエミの真意はなかなか掴めない。焦らしに焦らされた後、チエミが逃げた本当の理由がわかるとき、ある希望を娘に残してくれたチエミの母の母性に胸を衝かれる。それゆえに、この不思議なタイトルは、これ以外にはちょっとないというほど絶妙だ。
第二章の語り手は誰か、それはこれから読む人の楽しみとしておくが、第一章はとてもクールに客観的に、第二章は情緒的でほんわりと、文体までしっかり書き分けられている。
これは、新しい母娘の物語の誕生だ。手放しのハッピーエンディングではないけれど、こんなふうに娘は生み育てられ、母はそれだけでこんなにも幸福なのかもしれない。切なさとほろ苦さとは切り離せないその愛情に、涙が出る。
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