柴田元幸からの、すばらしい贈り物である、とまず言いたい。
昨秋刊行された、ジャック・ロンドン『火を熾す』は“柴田元幸翻訳叢書”と名づけられたシリーズの記念すべき第1冊目だったが、2冊目である本書は、より柴田元幸的(と読者が感じるだろう)風味と滋味にあふれている。
「あとがき」にある情報を多分に拝借すると、マラマッド(1914-86)はロシア移民の子としてNYに生まれたユダヤ人作家。ソール・ベロー、フィリップ・ロスと並んで、“ユダヤ系三羽烏”と称されることもあるらしい。本書は、1950年から72年までに書かれた11の短篇で構成される。
1篇ずつを子細に紹介すれば、そのテキストの味わいを乱暴に踏み荒らすことになるだろうと懸念してしまう。“内容”と同時に、“書かれ方”に特徴と味わいがあるからだ。たとえば表題作「喋る馬」は、「私は馬のなかにいる人間なのか、人間みたいに喋る馬なのか?」で始まる、擬人法でファンタジックなストーリーだが、馬と主人とのあいだで交わされる会話は、いつしか擬人化という文学上の技法のケレン味を遠くにしりぞけ、二者間のコミュニケーションの本質というものを、読者に知らせる。あるいは同じく主人と雇われ者の関係を描く冒頭の一篇「最初の七年」は、あまりに普遍的な、格差ある恋の物語だが、なぜありふれた内容が、ここまで新鮮で胸を打つ読後感を運んでくるのかと、不思議に思うほどだ。
11の短篇すべての通奏低音は、哀しみ、である。
貧しさから娘を脱却させてやりたいと願いつつ、さいごにその娘自身の“幸福”のために自らの野心をいましめる「最初の七年」の主人公がそうであったように、静かな諦念とともに人生と運命を受容し、そしてそれゆえにわずかな可笑しみが加わること。気持ちのいい「哀しさ」の正体は、これだろう。初秋のこの季節、睡眠におちいるまでの時間に読むのに、これ以上ふさわしい小説集はない。
ちなみに柴田元幸の修士論文のテーマはマラマッドだったそう(『小説の読み方、書き方、訳し方』)。どうりで年季の入った愛が、本書から感じられるはずだ。著者、訳者の仕事ぶりをあわせて考えるに、文句なしの、☆☆☆☆☆。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |