東野圭吾は言わずと知れた人気作家だが、彼の凄みは、ミステリ的に高度な技巧を凝らした作品を、マニアも非マニアも十分楽しめるよう仕上げてくれるところにある。最新刊『新参者』は、その最高の成果の一つだ。結論から申し上げれば完全に圧倒された。作品の狙いが野心的・実験的なうえに、完成度も極めて高いからである。
日本橋で、一人暮らしの中年女性が殺される。だが聞き込みをしても、あんないい人が殺されるとは信じられないとの証言が得られるばかりで、捜査は一向に進展を見せなかった。そんな中、日本橋署に異動してきたばかりの刑事・加賀恭一郎は、一人静かに周辺人物の調査を進めていた。
本書は9章構成で、各章は一応個々に独立したエピソードを織り成している。視点人物も原則として各章毎に異なる。よって『新参者』は実質的に連作短篇集である。
各章の視点人物は、最後の第9章の中年刑事を除くと、日本橋界隈の一般市民であり、先述の殺人事件を捜査している加賀の聞き込み調査を受ける。そして、各視点人物が直面しているトラブルや謎を、加賀が解決していく。
各章のトラブルは、殺人事件に直接関係のない日常的なものが大半を占める。いずれの章でも、推理の鮮やかさは水準以上であり、事件(より正確には、出来事)の構図は解明前と後で人間関係の印象を逆転させるようなものが多い。しかしトリックやアイデア自体には、特段目新しいものがない。ロジックも若干弱いかも知れない。
また、第9章で明らかになる、殺人事件本体の真相も、それほど目覚ましいものではない。ダメというわけでは全くないのだが、長篇を1本それだけでもたせるにはキツいネタ――要するに、短篇向けのアイデアだったのである。
というわけで、本書は個別のネタを見ているだけだと、傑作とは認定しがたい。しかしこの弱点を補って余りあり、それどころか本書を真の傑作に押し上げる要素がある。それが、「連作短篇集としての構成」、もっと言えば「各章の関連性」である。しかもこれ、連作短篇集でよくある「各短篇の一部が、全体の謎を解く伏線として用いられる」といった単純なものではない。
各章での加賀恭一郎の各人への訪問はあくまで、聞き込みのためだ。よって各人のトラブルに首を突っ込む必要性は、本来はないように思える。では加賀が各章でおこなう推理は、完全におせっかいの産物だったのか? 実はそうではない。よく読むと、加賀恭一郎の各人への訪問があったがゆえに、殺人事件本体が解決できたという結果になっているのがわかるはずだ。
実際の事件捜査では、殺人事件の真相を示唆するもの「だけ」を調べるわけには行かない。たとえば、ある人物を容疑者から外せるかどうか確認するためだけの調査も、実際には必要だ。
『新参者』の各章における加賀の捜査と推理には、この「容疑者から外せるかどうか」という観点からおこなわれたものも含まれている。それ以外に当然、「真相に直接関係している」事項の捜査・推理もある。つまり、真相に直結するかはともかく、殺人事件捜査には必要なものばかりだったのである。『新参者』は、通常のミステリでは描写されることが少ない、地味で結果的には真相解明に直接貢献しない捜査にも光を当てて、リアルな感触を得ることに成功している。
なお余談だが、加賀がおせっかいだったとすれば、その結果を、各章の視点人物に教えたことのみだろう。恐らく加賀は、「教えた方が、彼または彼女の人生のためになる」と思ったのだろう。ここに、いつもクールな加賀の人情を見ることができる。
そして当初独立のものと思われた各章は、次第に「ある章で出て来た人物が、他の章でも登場した」といった関連性を増やし始め、また各章の視点人物も、次第に殺人事件本体に近い人になっていく。各章が相互に連関して、殺人事件を中心とした「絵」を少しずつ描き始めるのである。この「絵」は、描かれている最中でも、恐らく綺麗なものだろうなと期待を抱かせるものだが、第9章で事件が解明される時に、期待をまったく裏切らず、非常に美しく整然とした姿を現す。
興味深いのは、読者はこの「絵」が描かれつつあることを感得できるが、加賀恭一郎以外の登場人物は全く感知できないという点である。登場人物は他の章のエピソードを知ることができない一方、読者は他の章を読むことにより、まるで神のように全体を俯瞰できる立場にある。この結果、読者は、各章自体の出来への感心に加えて、背景の殺人事件の核心に迫っているという緊迫感を覚えることができる。メタレベルで作品を楽しんでいるとも言えようか。
だが全章を読める「神」たる読者も、大半が、全ての関連性を知る加賀恭一郎の説明があるまでは、全体を完璧に関連付けることは難しい。そう考えると、加賀恭一郎という名探偵は、いつもより立場が強い読者よりもさらに強い地位にいるわけで、なかなか面白い現象といえるだろう。
『新参者』最大の魅力は、作品全体が織り成す、以上のような構図にある。正直、各章の事件や殺人事件の真相は、それほど凄いものではない。しかし、この構図の美しさは本物だと思うのだ。そこに費やされた労力と技巧たるや、いかばかりか。帯の「こんなことが出来ればと思った。でも出来るとは思わなかった」という作者自身の言葉は、本当に重いものなのである。
心底恐れ入りました。☆☆☆☆☆を献上したいと思います。正直、星はこれでもまだ足りない。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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まあまあ | ☆☆☆ |
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これは困った | ☆ |
東野圭吾の他の作品の書評も収めていますので、ぜひお楽しみください。
『カッコウの卵は誰のもの』 レビュワー/福井健太 書評を読む