中山康樹の新刊が出ていたら、絶対に買う。と、いうことで最後は『ビートルズから始まるロック名盤』であります。文庫書き下ろしなので、今までどこにも発表されていない文章がいきなり500円で読めてしまう。出血大サービス。こんなにうれしいことはない。
なんだよ、またビートルズか。ただもうそれだけで本書を敬遠するのは早計。あまりに早計。確かに、1964年の『ミート・ザ・ビートルズ』に始まり、69年の『アビー・ロード』で終わる、60年代ロック名盤のクロニクルであるから、ビートルズの存在はもちろん重要だ。しかしそこをぐっと我慢、よく見てほしい。「ビートルズから始まる」その「始まり」は、『ミート・ザ・ビートルズ』なのである。わかりますよね? そう、『ウィズ・ザ・ビートルズ』じゃなくて『ミート・ザ・ビートルズ』から始まる。ここ、ものすごく重要なのである。
なにしろイギリス本国における2枚目のアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』とジャケットも一緒だし、要するにアメリカ向けに焼きなおしたんでしょ? くらいにしか思ってない人が多い(筆者もその一人)中、内容はまったく異なってアメリカ独自のものであり、「すべてはここから始まったのだ。」と、中山氏は書くのである。
【サウンドは全体的に明るくラウドにまとめられ、ロック・グループとしての側面が強調されている。イギリス盤『プリーズ・プリーズ・ミー』や『ウィズ・ザ・ビートルズ』との決定的な差異は、そこにある。いうなればアメリカ盤でしか聴けないビートルズ。しかしそれがビートルズの本質にもっとも近いものであったという逆説的発見。そして初期においては、ジョン・レノンの存在感と声の威力が絶大なものであったこともリアルに伝わってくる。この声に世界はイカされた。やはり「すべてはここから始まったのだ」と、改めて思う。】
60年代のロック名盤50枚を選んで書くという、企画としてはまったく新味の無い、これまで幾たびも行われてきた事に性懲りも無くまたトライにするにあたって、中山氏が引いた見取り図はまず、「アメリカのビートルズにこそ本質があった」というところから静かに、そして断固として進んでいくのである。
そもそも中山康樹という人は、その世界で頂点に立ったような、「今さらこのアーティストについて何を言うことがある?」という「大物」ばかりを語ってきた。マイルス・デイヴィス。ビル・エヴァンス。ビートルズ。ボブ・ディラン。ビーチ・ボーイズ。そして桑田圭祐。その流儀は、とにかくアーティストのサウンドを、コンプリートに聴く、というスタイル。とにかく聴く。徹底的に聴く。そして彼らの「すごさ」を、熱量とともに文章であぶりだす。隅々までサウンドを確認しながら、分析的にならず、袋小路に入らず、バッっと大づかみに方向をつかんで、決定的なポイントはピタリと抑える。これが実にシビれるのである。
ボブ・ディランのアルバム『追憶のハイウェイ61』の1曲目、ウルトラ有名曲の「ライク・ア・ローリング・ストーン」についてはこうだ。
【いってみれば「たんなるスネア・ドラムの一打」にすぎない。しかしその一打は、時代に投げかける大きな疑問符のように聴こえることもあれば、歓喜の感嘆符として響くこともある。このディランのセッションが初のロック担当となったエンジニア、ロイ・ハリーが施したエコーも絶大な効果を上げている。さらにこの一打は、時代に打たれた句読点であり、その瞬間、時代は半ば強引に改行を余儀なくされたように思う。】
あの有名な曲について、いったい他の誰がこんなふうに書くことができるだろうか。しかもこの部分のセンテンスがすばらしいのは、まさしく「文」「文脈」のメタファーで大きな事を語りながら、同時に「ロイ・ハリーが施したエコー」という、ほんの一瞬の音についてもキッチリ言及している点である。
『ビートルズから始まるロック名盤』はまぎれもない第一級の批評仕事だが、「批評」という言葉で普通、人がイメージする難解さ(それは不当なものだと思うけれど)からは遠く離れた軽やかさを持っている。それはたぶん、中山氏の中で知性と感情がいつも共振するからだろう。というより、そもそも豊かな感情の伴わない知性というものは、本来、存在しないのかもしれない、と思わせるような文章といえばいいか。
【《サウンド・オブ・サイレンス》が終わり、2曲目の《木の葉は緑》が流れてきた瞬間、その差は歴然とする。幼い少年が大人びた青年に姿を変えたような印象を抱かせる。同時にロックでもフォーク・ロックでもない叙情に胸をつかまれる。終盤に登場する「ハロー」と「グッドバイ」というシンプルな言葉のくり返しがこうも情感豊かに響いた記憶はあまりない。】
このような言葉のさざ波がアルバム50枚分も用意されており、しかもその50枚はむろん名盤として定評のあるものをベースにしながら、ミッチ・ライダー&デトロイト・ホイールズの『レヴ・アップ』やディオンの『アブラハム・マーティン・アンド・ジョン』といった、あまり日本で聴かれているとは言い難いアルバムも含まれているところがまたうれしい。
最後に、この本の中でも個人的に最も美しいと思う、そして「批評だなあ」と感じ入る箇所を引用する。ビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』についての締めの文章。
【アルバムは、その作り出された色がグラデーション状に淡から濃へ、濃から淡へと変化をくり返し、ある到達点に向かって収斂していくように構成されている。それはモノラルだからこそより有効な魔法であり、モノラル・レコードの最高峰ともいえる。(中略)ステレオでは「何が鳴っているか」すなわち「どの色が使われたのか」がある程度予測でき、魔法としての興趣は著しく欠ける。ブライアンが感覚を頼りに混ぜ合わせた「この世に存在しない色」は、あくまでもモノラルの『ペット・サウンズ』のなかにしか存在しないと思う。】
くりかえしますが文庫書下ろしで476円(税別)。安い。安すぎる。もちろん☆☆☆☆☆。嗚呼! 今回は3冊とも満点じゃないか。いや、かまわない。☆4つという採点が嫌いだし(付けますけどね)。ハイ、たいへん幸せでありました。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |