最後に、すでに一部で話題になり始めている新人作家の作品をご紹介する。樋口毅宏『さらば雑司ヶ谷』である。奥付に記された情報だけだと、出版社勤務経験があるということしか判らないのだが、町山智弘さんが八月二十九日に書いたブログの記事によれば、「BUBUKA」や「みうらじゅんマガジン」の編集者だった人らしい。だからみうらじゅんが帯に推薦文を書いているのか。作者がどんな人かは巻末の参考文献一覧を見ればだいたい判るので、関心のある人はちらっと参考にしてもらいたい。あれこれ雑多な作品が挙げられている中に、三つ以上反応してしまったら、とりあえず本書は買いだ。
物語は、豊島区雑司ヶ谷に大河内太郎が戻ってくる場面から始まる。大河内太郎は、この町に存在する某宗教法人の教祖の家に生まれた。彼の祖母である泰は、日本の政財界に隠然たる影響力を持つ、闇の女帝なのである。数年ぶりに再会した孫に、泰はある調査を与えた。ゲリラ豪雨のため、下水道管の工事に従事していた作業員五名が死亡するという事故が二ヶ月前に起きた。雑司ヶ谷の信者たちは、泰の呪力が天変地異を抑えてくれることを期待している。だが、この事故は単なる天災ではなく仕組まれた陰謀だというのが泰の見立てだった。泰に強制され、太郎はしぶしぶ町へと出かけていく。
この調査の話に、太郎の復讐譚が絡む。雑司ヶ谷を留守にしていた期間、彼は中国にいた。人身売買によって大陸へと連れ去られた、幼女を取り戻すためである。非道な真似をしでかしたのは、島田芳一という悪党だ。芳一は、太郎の親友である京介を殺害し、彼が率いるチームを乗っ取っていた。親友の仇を討つことを誓う太郎と、過去からの刺客を抹殺せんと考える芳一の、熾烈な戦いが始まるのだ。
以上が、本書の「書評で紹介できる部分」だ。紹介できない部分があるというのもおかしな話だが、つまりこの小説にはポルノで言うとハードコアに該当する箇所が多々あるのである。予備知識なしに読むと結構びっくりするはずなので、一応警告しておく。過剰な戸梶圭太か、優しくなった友成純一というところだろうか。暴力やセックスの描写をどうするかは、決まった規範があるわけではなく(実社会では許されないようなひどい描写でも、小説の中における必然であれば、認められるべきである)執筆者に任されることである。過激にするか、優しく書くかは、書こうとする小説の質によって選択される。橋田寿賀子ドラマに夫婦のスワッピングが出てきたらびっくりするでしょう。そういうことである。本書で樋口は、「書評で紹介することがためらわれる」ほどの極北の描写を出してきた。賛否両論あると思うが、私は題材にふさわしい描写であると考えている。大河内太郎という主人公の激情を描くべきだと作者は判断し、描ききったわけだ。この描写があったからこそ、『さらば雑司ヶ谷』は傑作になりえた。主人公を脅かす中国マフィア閣鉄心の怪物性や、ヒロインに対する酷薄な扱いなども、すべて書かれるべくして書かれた必然である。
減点すべき材料もある。中途で挿入される作中作『ごころ』は作者が思っているほどにはおもしろくないし、そうした無駄な寄り道が随所にある。また、謎解きの要素が小説の流れの中でさほど効果を上げていない点も気にする人は気にするところだ。もちろん投げっぱなしで終わるより、落ちをつけてもらったほうが好ましくはあるのだが、予定調和の域を出ない終わり方なのだ。ただし、百二十八ページで出てくる、太郎がある女性とセックスする場面を書いた時点で、作者はすべきことをすべて終えたとも言える。あとの部分はすべて小説を終わらせるための付け足しなのかもしれない。とにかくこのセックスの場面だけは本当に驚いたし、笑いました。素晴らしい。
このほか、ネーミングのセンスが「コミックボンボン(休刊)」並みでストレートかつキッチュだとか、各所で挿入される小さい挿話がいちいちおもしろいだとか、作者は本当にオザケンが好きなのかいや嘘だろうとか、夏目漱石『こころ』は別に関係ないじゃんとか、いろいろ言いたいことはあるのだが、いちいち説明するのは面倒だし、野暮だと思う。これまでの説明で気になった人は読むこと。以上。星はかなりおまけして☆☆☆☆☆。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |